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地域 | 日本 |
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都市名 | 東京 |
解説 | 工部省工学寮に設置された教育機関。1871年9月の工学寮設置に伴い、寮内に教育機関の設置が計画された。「工学校定則ノ概略」によると、工学校は大学と小学に別れ、小学を修了した者が大学に進むこととされた。また、教官はすべて西洋人とし、校内においては衣食住すべてが西洋式とされた。生徒からは毎月金10円の学費を徴収し、それで各生徒の学資・飲食・衣服代など一切に充当した。小学の入学資格は13~17歳、生徒は300人定員。1日7時間を洋学、3時間を和書学・翻訳書購読に充てた。生徒は4階に分級され、月毎に小試を、半年毎に大試を受験した。大試を及第すると1階進級し、4級進むことで大学に進んだ。なお、入校後3年を経ても大学に進学できない者は、退校処分とされた。大学でも、生徒は4階に分級され、半年毎の学業試験が課された。落第無く四級まで進んだ者は、洋行しての修学が認められた。3年を経ても四級まで進めなかった者は、内国工場において実地修行が命じられた。1877年1月の工学寮廃局に伴い、工学校は工部大学校に改組された。 |
上位の階層 | |
参考資料 | 『工部省沿革報告』大蔵省、1889年。「記録材料・工学校略則」(アジ歴Ref:A07060012500)。 |
歴代長官 部局長等 |
校長: |