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地域 | 日本 |
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都市名 | 東京 |
解説 | 大蔵省造幣局は、大蔵省管轄下で大阪に設置され貨幣の鋳造の事務を管掌する部署。1869年7月8日の大蔵省設置とともに設置された大蔵省造幣寮が1877年1月11日に造幣局に改称された。同年2月16日に分課を改訂し、地金出納科、地金計算科、試験分析所、鎔解所、伸金所、秤量所、極印所、鎔銅所、伸銅所、銅極印所、彫刻所、工作所、製作所、精製分析所、硫酸製造所、文書掛、会計掛、貯蔵掛、営繕掛、観察掛、電信掛、治療掛、門前所詰、泉布観詰、貨幣調方を置き、1880年5月10には地金出納と地金計算の二科を合併して地金課を設け、翌1881年11月27日は会計掛と貯蔵係を併せて会計課を設置した。1882年1月17日職制と事務章程を定め、それに伴い地金、会計、文書、営繕、庶務の各課が設けられた。1893年11月には総務部、鋳造部、試金部の三部とし、以後大正初年まで分課に変更はなかった。職員の定数は、1893年11月の時点では局長以下高等官が5人とその他41人であった。1905年6月には韓国の貨幣の製造のために、臨時職員を増置した。 |
上位の階層 | |
参考資料 | ・造幣局の官制については、「御署名原本・明治十九年・勅令第十七号・造幣局印刷局官制」(アジ歴Ref:A03020002100)(1886年4月)を参照、官制の改正については、「御署名原本・明治二十年・勅令第六十号・造幣局官制改正」(アジ歴Ref:A03020015800)(1887年12月)、「御署名原本・明治二十三年・勅令第百四十号・造幣局官制改正」(アジ歴Ref:A03020074100)(1890年7月)、「御署名原本・明治二十四年・勅令第百二十一号・造幣局官制中改正」(アジ歴Ref:A03020105300)(1891年7月)、「御署名原本・明治二十六年・勅令第百三十六号・造幣局官制改正」(アジ歴:RefA03020150700)(1893年10月)、「御署名原本・明治三十五年・勅令第百三十号・造幣局官制第二条中改正」(アジ歴Ref:A03020534500)(1902年3月)、「御署名原本・明治三十六年・勅令第二百十七号・造幣局官制第二条中改正」(アジ歴Ref:A03020577000)(1903年12月)、「御署名原本・明治四十年・勅令第百九十七号・造幣局官制中削除」(アジ歴Ref:A03020721200)(1907年5月)、「御署名原本・明治四十三年・勅令第四十号・造幣局官制改正」(アジ歴Ref:A03020835300)(1910年3月)を参照。臨時職員の増設については、「御署名原本・明治三十八年・勅令第百七十七号・造幣局ニ臨時職員増置ノ件」(アジ歴Ref:A03020639500)(1905年6月)を参照。 ・大蔵省百年史編集室編『大蔵省百年史』財団法人大蔵財務協会、1969年、142-143、253頁。 ・「造幣局」朝倉治彦編『明治官制辞典』、東京堂出版、1969年、362-363頁。 |
歴代長官 部局長等 |
造幣局長:石丸安世(1877年1月11日-1881年11月10日)/大野直輔・局長心得(1881年11月11日-1881年11月16日)/遠藤謹助(1881年11月16日-1886年4月15日)/遠藤謹助(1887年12月21日-1893年6月3日)/長谷川為治・局長心得(1893年6月3日-1893年11月10日)/長谷川為治(1893年11月10日-1913年4月25日) 造幣局事務長:遠藤謹助(1886年4月15日-1887年12月21日) |
御雇外国人 | キンドル |