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地域 | 日本 |
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都市名 | 函館 |
解説 | 江戸幕府は1854年6月に箱館開港に対応するため箱館奉行所を再置していたが、維新政権は幕府直轄領を没収し地方政務を引き継ぐなかで1868年4月に箱館裁判所設置を命じた。閏4月から5月には事務が引き渡され箱館裁判所が蝦夷全島を引き継ぎ、5月1日に開庁が宣言された。7月(現地での布達の時期)に箱館府に改称したが、10月には榎本武揚ら旧幕府脱走軍に箱館を追われ青森に逃れた。旧幕府勢力の敗北後、1869年7月に開拓使が設置され箱館府も廃止され、いったん箱館裁判所が復活した後で同年9月に開拓使出張所に改称された。この時期から箱館も混称しながら函館に改められたとされる。当初は函館の開拓使出張所に東久世通禧開拓使長官が在勤し本庁的役割を果たしていたが、1871年4月に長官が札幌の仮庁舎に移ると5月には函館出張開拓使庁と改称され、その役割は函館及びその周辺の地方行政事務と開港地函館の対外事務が中心となった。1872年9月に札幌開拓使庁は本庁となり、函館出張所も五支庁のうち一つの函館支庁となった。またこの直後に旧松前藩領地が函館支庁の所管となり、渡島七郡と胆振八郡を所管地とした。1875年12月時点では記録課、民事課、会計課、外事課が置かれ、1878年2月には外事課が記録課の下の外事係とされて三課体制となった。1882年2月に開拓使が廃止された後には根室県、札幌県とともに函館県が置かれた。しかし開拓を統括する行政機構が必要とされ、1886年1月に北海道庁が設置されてその下に函館支庁、根室支庁が置かれたが早くも12月に両支庁は廃止されて業務は道庁と郡役所で分割された。ただし函館には外交上の配慮から外国人に関する事務を担当する北海道庁長官出張所が1890年6月まで置かれた。1897年10月に郡区役所に代わる形で函館支庁が復活した。ただし函館区のみが管轄区域であり渡島だけでも他に亀田支庁、松前支庁、檜山支庁が置かれていた。 |
上位の階層 | |
参考資料 | 函館市史編さん室編『函館市史 通説編 第2巻』函館市、1990年、71-74・180-221・262-276・424-436頁。 |