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地域 | 南方軍政地域 |
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都市名 | フィリピン(マニラ) |
解説 | 太平洋戦争中、陸軍によって占領されたフィリピンのマニラ市及び周辺地区の防衛を主たる任務とするマニラ防衛隊が設立され、その司令部として設置された。1942年1月3日、第16師団長はマニラ防衛司令官を兼任し、マニラ市の警備及び防衛を命じられた。その後、3月からは、第4師団騎兵第4連隊長がマニラ防衛隊の指揮を担当し、騎兵第4連隊が転出した6月上旬以降は第65旅団歩兵第141連隊長が指揮を引き継いだ。フィリピンにおける戦闘終結後には、大本営直属となった第14軍がフィリピン全土の治安確保を担い、マニラ市を含む警備担任地区は第16師団が担当することとなった。戦争末期、米軍のルソン島進攻迎撃のため振武集団(のちに第41軍に改編)が編成され、マニラ防衛司令部も編入された。第14軍(渡集団)軍政部発行の軍政公報では、1942年6月まで「大マニラ(市)防衛司令部」とされ、7月以降は「マニラ防衛司令部」と記載されている。 |
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参考資料 | 第14軍(渡集団)軍政部発行の軍政公報については、C14020667600(1942年3月)、C14020670000(1942年4月)、C14020672900(1942年5月)、C14020676700(1942年6月)、C14020679900(1942年7月)を参照。防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 比島攻略作戦』朝雲新聞社、1966、195頁、543-556頁。防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 捷号陸軍作戦<2>ルソン決戦』朝雲新聞社、1972。 |