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地域 | 南方軍政地域 |
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都市名 | フィリピン(マニラ) |
解説 | 太平洋戦争中、陸軍によって占領されたフィリピンのマニラ市及び周辺地区の防衛を担うマニラ防衛隊の司令官として任命された。マニラ占領後の1942年1月3日、第16師団長がマニラ防衛司令官兼任を命じられる。3月以降は第4師団に属する騎兵第4連隊長が指揮し、6月上旬以降は第65旅団第141連隊長が指揮することになった。その後、第65旅団が東部ニューギニア方面へ転出したため、フィリピンに駐屯した第16師団が指揮を受け継ぎ、1943年1月時点では野砲兵第22連隊長が着任している。戦争末期には振武集団(のちに第41軍に改編)に編入され、マニラ東方山中に司令部を置き抗戦を続けたが、1945年8月司令官が戦死し終戦を迎えた。 |
上位の階層 | |
参考資料 | (大)マニラ(市)防衛司令官名が記された文書については、C14020610700(1942年4月)、C14010080900(1943年1月)、C13070931000(1945年3月)などを参照。防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 比島攻略作戦』朝雲新聞社、1966、195頁、543-556頁。 |
歴代長官 部局長等 |
マニラ防衛司令官森岡皐中将 第16師団長今井武夫大佐 第141連隊長今村安大佐 騎兵第4連隊長近藤喜名男大佐 野砲兵第22連隊小林隆中将 マニラ防衛隊 1944年10月16日~1945年8月8日戦死 |