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地域 | 台湾 |
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都市名 | 台北 |
解説 | 台湾における日本語教育と教員養成のために設置された学校。1896年3月、「台湾総督府直轄諸学校官制」が発布され、台湾総督府国語学校と国語伝習所、附属学校の設立が定められると9月に「台湾総督府国語学校規則」が定められ、国語学校には師範部と語学部、附属学校が置かれることになった。師範部では国語伝習所および師範学校の教員、小学校の校長・教員を養成し、台湾における普通教育の方法を研究すること、語学部には国語学科と土語学科が設けられ、国語学科では台湾人に国語(日本語)を教授し、土語学科では日本人に土語(台湾語)を教授して、公私の業務に就く者に教育すること、附属学校では日本人の学童適齢者および台湾の幼年・青年に普通教育を施すことが定められた。1897年7月、「台湾総督府国語学校官制」が発布され、附属学校と公学模範学校を附設して、開校した。1902年7月、国語学校規則が改正され、これまで師範学校で養成していた台湾人学生を国語学校で養成することになり、師範部に甲科・乙科が設置された。また、附属学校で養成した中学生徒の養成機関として中学部が用意され、高等普通教育を施すことになった。1918年7月、公学校訓導の需要拡大のため、台南に分校が新設することが決まり、国語学校教授が分校主任に充てられた。1919年1月、「台湾教育令」が公布され、国語学校は台湾師範学校となり、台南分校は台南師範学校と改称された。 |
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参考資料 | 台湾総督府直轄諸学校の官制については、A03020233400を参照。台湾総督府国語学校官制については、A03020298400を参照。台南分校については、A03021152900を参照。台湾教育令については、A03021174100を参照。台湾総督府国語学校の廃止については、A03021180500を参照。台湾教育会編『台湾教育沿革史』(台湾教育会、1939年)。「台湾総督府国語学校規則」台湾総督府府令第38号、1896年9月25日(「台湾総督府府報」、『台湾新報』第25号附録、1896年9月25日)。「台湾総督府国語学校規則」台湾総督府府令第52号、1902年7月6日(台湾総督府『府報』号外、1902年7月6日)。「台湾総督府国語学校規則改正」台湾総督府府令第61号、1918年7月19日(台湾総督府『府報』第1614号、1918年7月19日)。「台湾総督府国語学校分校主任」台湾総督府訓令第120号、1918年7月19日(台湾総督府『府報』第1614号、1918年7月19日)。 |
歴代長官 部局長等 |
台湾総督府国語学校長一覧町田則文 1896年~1900年5月25日本田嘉種(心得) 1900年5月25日~1900年8月28日田中敬一(心得) 1900年8月28日~1901年6月5日田中敬一 1901年6月5日~1906年9月17日持地六三郎(心得) 1906年9月17日~1908年5月21日本荘太一郎(兼任) 1908年5月20日~1912年2月17日隈本繁吉 1912年2月17日~1919年1月4日 |