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地域 | 台湾 |
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都市名 | 台北・新竹・台中・嘉義・台南・鳳山・宜蘭・台東・澎湖島・基隆・打狗(高雄)・阿猴(屏東)・花蓮港 |
解説 | 日本軍の台北入城直後の1895(明治28)年6月に初の官立医院である台湾病院が台北に設置された。1896(明治29)年には台中や台南ほか各地に病院が設立された。1897(明治30)年5月に台湾総督府医院官制(勅令第155号)により、総督府各県各庁の下に医院を置くと定められた。医院の位置や名称は総督が決め、各医院に置かれる院長は知事の指揮監督を受けた。1898(明治31)年6月に官制が全面改正され、総督府医院は台湾総督の直轄となった(勅令第111号)。当初台北、新竹、台中、嘉義、台南、鳳山、宜蘭、台東、澎湖島の9か所だった医院は、鳳山を除き、基隆、打狗(のち高雄)、阿猴(のち屏東)、花蓮港を加えて12か所に増設された。1921(大正10)年8月の助産婦養成事務が、1923(大正12)年5月には看護婦養成事務が職掌に加えられた。1938(昭和13)年4月に台北医院が台北帝国大学に移管され、医学部付属部病院となった(現国立台湾大学医学部付属病院)。1940(昭和15)年12月に医院の分院を設置することが可能になり、花蓮港医院玉里分院が開設された。日本の敗戦によって各病院は接収され、例えば台南医院は台湾省の省立台南医院(現在の衛生福利部台南医院)、高雄医院は省立高雄医院(現在の高雄市立民生医院)となるなど国民党政権に引き継がれた。 |
上位の階層 | |
参考資料 | 1897年の官制は、A03020289700。1898年の官制改正は、A03020341000。設置当初の医院の所在地は、台湾総督府『府報』第99号、1897年6月15日、22頁。1917年時点の医院の所在地は、A01200133200。1921年の改正は、A03021342600。1923年の改正は、A03021454300。1938年の改正は、A03022198100。その理由はA02030039400。1940年の改正は、A03022528000。その理由はA02030194100。張雅婷「日本統治時代における高雄医院の発展及びその問題点」(『高科大応用外語学報』第9期、2008年)。衛生福利部台南医院「本院歴史」http://www.tnhosp.mohw.gov.tw/page.php?nsub=A0A100高雄市立民生医院「歴史沿革」http://www.kmsh.gov.tw/kmsh/H2mee/PageContent.aspx?node_id=17&bgNo=1&P_No=M0010 |