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地域 | 台湾 |
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都市名 | 台北 |
解説 | 臨時台湾戸口調査部は、台湾総督府に置かれた臨時組織で、台湾単独の国勢調査である臨時戸口調査の事務を管掌した。1902年「国勢調査ニ関スル法律」にもとづく日本初の国勢調査が1905年に予定されていたが、「内地」では実施は日露戦争の影響などから見送られた。台湾総督府は台湾単独の「戸口調査」として事実上の国勢調査を実施した。臨時台湾戸口調査部長は民政長官が兼任した。副部長は高等官中から総督が任命するとされた。第1回戸口調査部は1905年5月29日、「臨時台湾戸口調査ニ関スル職員ノ件」にもとづき設置された。1908年3月31日、「臨時台湾戸口調査部官制廃止」にもとづき廃止された。第2回戸口調査部は1905年5月29日、「戸口調査ノ事務ニ従事セシムル為台湾総督府ニ臨時職員ヲ置クノ件」ならびに1914年台湾総督府訓令第108号「臨時戸口調査部規程制定」により設置された。1918年3月31日、「大正3年勅令第59号(台湾総督府臨時職員設置)廃止」により廃止された。直後の4月1日、1925年に予定されていた国勢調査事務に従事するための臨時職員を台湾総督府に置いた。部内は部長1、副部長1、主事2、複数名の属(専任)(判任官)で構成され、庶務課と調査課が置かれた。庶務課は人事や文書管理、経理などを所掌した。調査課は戸口調査の具体的実務に関する業務を管掌した。第1回と第2回では属の人数に若干の変動があるほかは、基本的な組織構成は同一である。高等官中から総督が任命した主事が事務を掌理し、課長は主事が兼任した。第1回戸口調査では大島久満次警視長が、第2回戸口調査では前台北庁長の井村大吉(のち地方部長が本務となる)や廣瀬吉郎地方部長が部長を兼任した。主事には第1回戸口調査では祝辰巳財務局長と水科七三郎技師が、第2回戸口調査では水科技師が任命され、各課長を兼任した。 |
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参考資料 | 第1次戸口調査部の官制については、A03020639300ならびに「訓令第百二十七號ヲ以テ臨時臺灣戶口調查部分課規程ヲ定ムル件」『台湾総督府档案』典蔵號00001116001、を参照。また、国勢調査と第1次戸口調査の関係については、冨田哲「1905年臨時台湾戸口調査が語る台湾社会」(『日本台湾学会報』第5号、2003年)p87を参照。第1次戸口調査部の廃止については、A03020752300を参照。第2次戸口調査部の官制については、A03021000700ならびに1914年台湾総督府訓令第108号「臨時戸口調査部規程制定」『台湾総督府档案』典蔵號00002220006、「臨時戸口調査部分課規程制定」『台湾総督府档案』典蔵號00002220005、を参照。第2次子行為調査臨時職員の廃止ならびに国勢調査臨時職員の設置については、A03021127900とA03021128000を参照。第1回戸口調査の人事については、台湾総督府官房統計課編『臨時台湾戸口調査顛末』(台湾総督府、1905年)p275-282を参照。第2回戸口調査の人事については、台湾総督府官房調査課編『臨時台湾戸口調査顛末 第2次(大正4年)』(台湾総督府官房調査課、1918年)p322-353を参照。 |
歴代長官 部局長等 |
調査部長:後藤新平 1905.5.29-1906.11.13祝辰巳 1906.11.13-1908.3.29内田嘉吉 1914.6.27-1915.10.20下村宏 1915.10.20-1918.3.31副部長:大島久満次 1906.6.1-1908.3.29井村大吉 1914.6.27-1915.6.30廣瀬吉郎 1915.6.30-1918.3.31主事:祝辰巳 1906.6.1-1906.11.13水科七三郎 1906.6.1-1908.3.291914.6.27-1917.3.31後藤祐明(主事事務取扱)1915.7.7-1918.3.31水科七三郎(主事心得)1917.3.31-1918.3.31 |