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地域 |
蘭領東インド
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都市名 |
スマトラ島プキチンギ
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解説 |
第25軍は、1941年7月編成完結、同年11月南方軍の戦闘序列に編入、マレー半島作戦、シンガポール攻略作戦に参加。爾後、マレー及びスマトラの治安維持に従事。1944年4月第7方面軍の編成に伴い同軍の戦闘序列に編入、以後防衛の重点をスマトラ北部に移した。最後の司令官は陸軍中将田邊盛武。終戦後、ジャワのインドネシア独立運動の影響を受けスマトラでも武器獲得のため日本軍襲撃事件が頻発。1945年9月以降蘭、英軍進駐後も引き続き警備を実施したが、インドネシア側は日本軍が独立を妨害しているとして12月アチエ地区で大規模な襲撃事件が発生。この事態に第25軍は、不干渉を表明、武器の譲渡を拒否し自衛のため暴動を鎮圧。その後スマトラ警備の責を解かれ、1946年2月から3月に主力はガラン島へ移駐。また、スマトラから直接復員輸送は同年4月頃から開始、スマトラでは約8,000余名の作業隊が残置。一部(特設自動車第15大隊)は、終戦後スマトラ島で各種輸送業務に従事、1946年3月ベラワン出港、バドパハ、グルアンを経て4月シンガポール到着、同地で作業隊に編入され各種連合国軍作業に従事、1947年9月29日朝嵐丸乗船シンガポール出港、同年10月23日佐世保港上陸、復員完結。
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参考資料 |
アジ歴Ref:C12122487700、1画像目、9~10画像目、『戦史叢書 マレー進攻作戦』、115~119頁、『陸軍作戦マレー・蘭印の防衛』、203頁、230頁、443~444頁
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