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地域 |
中国
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都市名 |
南陽
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解説 |
騎兵第4旅団は1909年4月愛知県豊橋市で編成され、衛戍勤務に当たる。1932年7月満洲事変に出動、大興安嶺作戦などに参加し、1933年7月龍江省?南に駐屯、騎兵集団に編合され、同地の警備に当たる。1936年7月興安北省ハイラルに移駐。1939年7月北支那方面軍に編入され、河南省に向かい、8月開封の警備に当たる。9月漢口作戦に参加、10月華中地域に移動し、湖北省徳安付近の警戒に当たる。1940年3月京山県に駐屯、同地の警備に当たる。9月9月開封、1941年商丘県帰徳に移駐、周辺地域の警備に当たる。1942年12月第12軍の戦闘序列に入り、中原会戦、京漢作戦、老河口作戦などに参加。最後の旅団長は陸軍大佐加藤源之助。1945年8月南陽で終戦、9月商丘帰徳に集結、武装解除後、鄭州綏靖公署第3管理所の管理下に入る。1946年4月鉄道により帰徳を発、南京、蘇州を経て、5月上海着、11日に上海出帆、17日博多上陸、23日復員完結。
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上位の階層 | |
参考資料 |
『戦史叢書 一号作戦〈1〉河南の会戦』、113~114頁
『戦史叢書 昭和二十年の支那派遣軍〈1〉三月まで』、431頁、501~627頁
『戦史叢書 昭和二十年の支那派遣軍〈2〉終戦まで』、379~380頁
『戦史叢書 北支の治安戦〈2〉』、487~502頁
中国派遣軍残務整理部編『支那派遣軍復員本部の歴史』「附録 復員完結日一覧表」、8頁(『復員関係史料集成』第1巻、ゆまに書房、2009年9月)。
アジ歴Ref:C12122433500、17~21画像目。
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