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Area | 台湾 |
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City name | 安平鎮 |
Commentary | 1903(明治35)年9月、台湾における茶の製法改良および機械化を図るため、殖産局の附属機関として桃園庁安平鎮に製茶試験場が設置された。場内では各種機械の試験運転が行われ、製茶工場の模範とされた。民政局殖産課技手の藤江勝太郎が責任者を務めた。試験の結果、紅茶の製造は良好な成績を収めたが、烏龍茶の製造は不良に終わった。そのため、1910(明治43)年2月に試験場は廃止され、機械や設備は日本台湾茶株式会社および台湾総督府茶樹栽培試験場に継承された。 |
Upper level hierarchy | Meiji/Taisho/Showa (Colonies/Occupied Territories) > Taiwan > Office of the Governor-General of Taiwan > Governor-General of Taiwan > Director-General of Civilian Affairs > Industry Bureau > Tea Manufacturing Experimental Farm |
Reference materials | 台湾総督府殖産局『製茶試験場成蹟取調書(明治38年度)』1906年、5・16-17頁。台湾総督府熱帯産業調査会編『茶業ニ関スル調査書』台湾総督府殖産局特産課、1935年、78-79頁。谷ヶ城秀吉「20世紀初頭における台湾-中国間経済関係の展開――烏龍茶輸出貿易の変容を事例に」『立教経済学研究』64巻1号、2010年、78-79頁。 |
Secretary general of the past | 藤江勝太郎(1903年9月~)藤江勝太郎(1865‒1943)は, 遠江国周智郡森町字城下の代々庄屋を勤める家に生まれた。父新蔵は静岡県屈指の茶業者であり, 1872‒73年頃から横浜で製茶貿易業を営んたが, 数年で事業に失敗し,静岡へ引き揚げた。この時藤江は, 製茶技術を習得するため横浜にとどまり, 1884‒85年頃には緑茶・紅茶の製法に精通したようである。同時に藤江は, 台湾烏龍茶に注目し, 1886年には台湾に自費渡航して烏龍茶の製造法を取得, 1888年には静岡市に紅茶及烏龍茶伝習所を, 1889年には森町に日本烏龍紅茶会社をそれぞれ設立した。1895年11月から民政局殖産課技手として総督府に勤務し, 1906年には技師(高等官) に昇進した。この間, 藤江は桃園庁安平鎮に設置された製茶試験場を監督する主任を務めていたことから, 総督府における烏龍茶政策の第一人者であったと判断される。退官後の1910年3月には日本台湾茶株式会社取締役兼技師長, 帰国後は郷里の森町で町長などを歴任した。(谷ヶ城、2010) |