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Area |
Philippine
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City name |
Luzon Island
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Commentary |
第31特別根拠地隊は、1944年9月10日、第31警備隊を改編して再編成された。1942年4月10日の戦時編制で南西方面艦隊第3南遣艦隊隷下となる。マニラ湾の防衛に従事した。司令官は水上機母艦神威、練習巡洋艦香椎、戦艦霧島の艦長を務めた海軍少将岩淵三次。1944年10月20日、連合国軍はレイテ上陸を開始。この時点で第31特別根拠地隊の主たる陸上戦力はおよそ2個大隊にすぎなかった。南西方面艦隊司令長官の海軍中将大川内伝七はマニラを死守する予定ではなかったが、陸軍指揮下の陸上作戦に介入することを避けたため、部隊は残置されることとなった。また岩淵は陸軍大将山下奉文のオープンシティ案に反対し死守を唱えた。結果、米軍および現地人ゲリラとマニラ市街戦を展開することとなる。12月22日ごろ、第31特別根拠地隊を核として「マ海防」が編成。司令官は岩淵となった。米軍との戦闘に逐次消耗し、岩淵は1945年2月26日自決。第31根拠地隊のうち司令部の生存者およそ1200名(マニラ東方部隊生存者、ポリリオ見張所生存者数名、含む)はインファンタ北部山中に収容。海軍中尉三枝松以下バタン諸島部隊220名は特に戦闘に関与せず生還。海軍大佐板垣昴以下コレヒドール部隊は200名が同島に、他はカラバオ島対岸リンボチスに収容。青山海軍少尉以下バタンガス部隊は25名が生還。海軍兵曹長高田浜雄以下エンカント見張所は治療のためバヨンボンに到った3名のみ収用。斉藤海軍少尉以下ポリリオ見張所は10名生存、一部アテモナンに収容。残りは上記の通り。海軍兵曹長宮代員男以下カンデラリヤ見張所の8名は陸軍藤兵団に合流。
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Upper level hierarchy | |
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Reference materials |
『戦史叢書 南西方面海軍作戦 第二段作戦』6~23、52、481~529付録第二。
福川秀樹『日本陸海軍人名事典』芙蓉書房出版、1999年12月、72頁
厚生省援護局『旧海軍恩給年加算調書』(8)昭和60年3月、189頁
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