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Area |
Philippine
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City name |
Luzon Island
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Commentary |
第32特別根拠地隊は、1941年11月20日、戦艦霧島船内で編成された。1942年4月10日の戦時編制で南西方面艦隊第2南遣艦隊隷下となる。ミンダナオ島ダバオを中心に防衛に従事した。1944年9月10日、ダバオ誤報事件を起こす。以後、名誉を挽回するべく陣地構築と陸戦訓練に努めた。なお、この時点でほとんどの艦艇を失っていた。同年秋ごろ、砲術参謀海軍中佐佐治愼二を指揮官として陸戦隊を編成。1945年4月27日、アメリカ軍はデゴス飛行場を攻撃し、ダバオにおける戦闘が開始される。30日22時、第32特別根拠地隊ほか在ダバオ海軍は第100師団長陸軍中将原田次郎の指揮下に入る。漸次消耗し、5月3日、アメリカ軍はダバオ市内に突入。31日、原田は長期自活態勢の強化を命じる。6月3日、第32特別根拠地隊司令部はマンドック北方クワポに移動し持久戦に備えた。18日に原田に届けられた通信によれば、士気は旺盛であったと言う。25日以降、陸軍との連絡途絶。このころ海軍司令部はブランブランに移動。30日時点で戦死・戦傷病者は760名。7、8月の志望者は主に戦病死で1640名。終戦時の司令官は海軍少将土井直治。海軍部隊約8000名がアメリカ軍に収容された。第32特別根拠地隊隷下の部隊について確認できる収用者数は以下の通り。ヒナツアン見張所、ブツアンにて4名。サンオーガスチン見張所、下関海軍兵曹長以下20名。バルート見張所、武田海軍兵曹長以下20名。ザンボアンガ部隊、サマト方面にて海軍少将池田敬之助以下300名。なお、土井が戦後に存命であることから、収用された部隊のうち司令部はじめ一部は復員できたものと推測される。
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Upper level hierarchy |
Showa (Post World War 2 Period) > Station Place of Japanese Army and Navy at the End of WW2 (Except for Honshu, Kyushu,
Shikoku) > Philippines > Imperial Japanese Navy > Combined Fleet > South-West Area Fleet Headqurters > 3rd Southern Expeditionary Fleet > 31st Special Base Force > 31st Signal Unit
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Reference materials |
『戦史叢書 南西方面海軍作戦 第二段作戦』6~23、565~570頁、付録第二。
『戦史叢書 捷号陸軍作戦(2)ルソン決戦』654頁
福川秀樹『日本陸海軍人名事典』芙蓉書房出版、1999年12月、72頁
厚生省援護局『旧海軍恩給年加算調書』(8)昭和60年3月、189頁
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