『写真週報』を通じて最も多く見られるのが、国債と貯蓄債券・報国債券の広告です。
 日中戦争、太平洋戦争とうち続く戦争の中、政府は民間の資金を調達するためさかんに債券を発行しました。
 「支那事変国債」は、政府が日中戦争の戦費調達のために売り出した国債で、25円券、50円券、100円券、500円券、1000円券の5種類に加え、のちに小額面希望者のために10円券も売りだされました。ここに掲げた広告にも見られるように、『写真週報』ではこの国債の郵便局売り出しがしばしば宣伝されています。

     

 この「支那事変国債」について、当時の政府はその他にも様々な方法で宣伝を行なっていました。
 資料1は、大蔵省理財局長からの依頼を受け、内務省警保局から各府県長官にあて、「支那事変国債」を宣伝する幻灯映画(スライド)の上映を依頼した文書です。
 資料2は、大蔵省からの依頼を受け、日本銀行国債局から陸軍省に「支那事変国債」売り出し宣伝用浪花節の台本集を送付した際の文書です。




 貯蓄債券は、日中戦争開始をうけ、昭和12年(1937年)9月に民間の資金を軍事産業に優先的に投入することを目的に制定された臨時資金調整法により発行が可能となった債券です。資料3は、この臨時資金調整法の公布に際しての御署名原本です。臨時資金調整法において貯蓄債券は、2億円まで発行可能で一枚の券面金額は20円以下と定められ(第13条)、債券の償還にさいしては、毎年2回の抽籤で売り出し価格の150倍以内の割増金を付けることが可能であるとされています(第14条)。


     




  報国債券は、昭和15年(1940年)3月の臨時資金調整法改正により発行が可能となった債券です。資料4は、この臨時資金調整法改正の公布に際しての御署名原本です。この法改正において報国債券は、5億円まで発行可能で一枚の券面金額は10円以下(第14条の2)で債券そのものは無利子とされ(第14条の3)、債券の償還にさいしては、毎年1回の抽籤で割増金を付けることが可能であるとされています(第14条の4)。

     



 以上の国債・債券については、一般国民のみならず陸海軍人や官公吏にもその購入が奨励されました。
 資料5は、第1回の貯蓄債券売り出しに際して、陸軍省副官から陸軍一般にその応募を勧めた通牒です。この通牒には第1回売り出しの際の割増金(1等1500円など)を定めた売出要項が添付されています。資料6は、昭和16年(1941年)5 月内閣書記官長から各省庁に宛てて出された文書案です。この中では次官会議の決定として、各省庁の職員に対して6月末に支給される賞与の一部でなるべく上記の国債・債券の買い入れを励行することが伝えられています。



 



 

Japan Center for Asian Historical Records