■資料解説
日露講和交渉における本会議、会見の記録です。この簿冊の中に会議・会見の記録が収録されています(外務省外交史料館>外務省記録>2門 条約>2類 講和条約、協定>1項 帝国諸外国間「日露講和条約締結一件/日露講和談判筆記 附両国全権委員非正式会見要録」(レファレンスコード:B06150093800にも同じ資料が収録されています)。
なお、これらの文書の大部分は、『日本外交文書 第37巻第38巻別冊日露戦争V』の第6章「講和関係」第3節に活字化されて収録されています(日本外交文書は外務省「日本外交文書デジタルアーカイブ」で閲覧可能です)。
第8回本会議の冒頭で、日本側は樺太(サハリン)を分割して北部をロシア領・南部を日本領とすること、樺太北部をロシアに還付するにあたり報酬金をロシアが負担するかたちで争点となっていた軍事費の支払い要求を撤回する譲歩案を提示しています(レファレンスコード:C06041241100)。
これは8月18日に秘密会議でヴィッテがもちかけた樺太分割領有案に応じるものでした(秘密会議の内容については日本外交文書に収録された電報で確認できます)。
しかし、軍事費賠償をめぐって対立は続き、交渉は決裂の危機に瀕することになります。日本外交文書ではこの間の全権委員と本国とのやりとりを確認することができます。日本は苦しい選択を迫られていたことが桂太郎の打電からもわかります。
第10回本会議(ref.C06041241300)において日本側は「一は人道と文明の為め一は日露両国真正の利益」に鑑み、樺太領有をロシアが承認することを条件に軍事費賠償要求を撤回する意志を明らかにしています。それは桂太郎から小村に宛てた電報訓令をうけてのものでした。
ロシア側は日本の樺太全島領有を認めなかったため、「人道の為め世界の平和を克服せむとするの極めて誠実なる希望を抱くか故に」と再度強調した上で樺太領有は南部のみ、軍事費賠償も放棄することに同意しました(3画像目)。
こうした日本側の譲歩によって講和交渉は決裂することなく、講和条約締結に持ち込まれました。
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