コラム

スタンフォード大学フーヴァー研究所邦字新聞デジタル・コレクション資料群解説

スタンフォード大学フーヴァー研究所邦字新聞デジタル・コレクション資料群解説

フーヴァー研究所ライブラリー&アーカイブズの歴史はハーバート・フーヴァー(1874–1964、後の第31代米国大統領)が母校スタンフォード大学に寄付をし、1919年に創立されたことに始まります。フーヴァーは第一次世界大戦中、欧州で食糧支援を実施した経験に基づき、戦争に関する歴史文書を収集、戦争の原因や結果などを研究することにより、歴史から学び、平和を促進することを目的としました。このような背景から、詳細な日々の情報、各土地における出来事、団体活動などの情報を満載する新聞収集はフーヴァー研究所の注力する分野となりました。

資料収集は上記の設立当初のミッションから、現在では、20、21世紀の社会、政治、経済の変革を捉える重要な歴史文書を含み、その対象が拡大しています。所蔵資料の規模も、文書、写真、貴重図書などの資料を保存する書庫棚の延べ距離が約50キロメートルと膨大になりました。

「フーヴァー研究所の外観」
写真「フーヴァー研究所の外観」(撮影:Patrick Beaudouin)

フーヴァー・アーカイブズの特徴の1つとして、英語の文献だけには捉われないということが挙げられます。むしろ、一次資料を重要視し、言語の多様性を受け入れ、スタッフも複数言語に対応できる体制を整えています。その結果、現在では69言語、155ヶ国の文書を所蔵することになりました。つまり、日本語の新聞を収集対象にすることはフーヴァー・アーカイブズにとって、何ら特異なことではなく、むしろ通常の収集活動の一環であると言えます。その結果、日系新聞、日本国内で発行された日本語の新聞は400タイトル近く所蔵しています。

とはいうものの、新聞は日々読み終えた後の長期保存を視野に入れて印刷されているわけではありません。紙質は低く、その上、大判であるため、100年前の新聞などは開ける度に状態が悪化、保存部の頭痛の種でした。これは特に読者数が限られ、経営予算が厳しかった海外発行の邦字新聞に顕著となっています。その上、新聞は大規模な保存場所を必要とし、地価が高騰するシリコンバレーの一等地での保存は問題を抱えています。更に、ユーザーである研究者側からは、あまりにも多様な情報が掲載されていることから、検索機能を切願されていたという状況もあり、『邦字新聞デジタル・コレクション』を立ち上げることはあらゆる方面から必要であると考えられました。

新聞を所蔵する他の大学図書館でも同様の悩みを抱えており、スタンフォード大学が所蔵しないタイトルや欠号の補完に、各方面の図書館に協力的な対応をしていただきました。これらのタイトルは全て、すでに廃刊になった新聞です。更に、現存する新聞社とも提携協力に合意、彼らの商業機会を損ねないように、スタンフォード大学内のみで閲覧できる形でのオープンアクセスを提供しています。

また、提携機関の裾野も広がっています。邦字新聞は地域コミュニティーと密接に関わっており、地域の小規模なヒストリカル・ソサエティーや博物館が希少な新聞を所蔵する場合もあります。これらの地域密着型の機関は館外に重要な新聞をデジタル化のために持ち出すよりも、自分たちでスキャンをするか、或いはフーヴァー・アーカイブズのスタッフが現地に赴いてデジタル化をすることを希望し、フーヴァー・アーカイブズも臨機応変に対応してきました。

また、対象地域も米国からブラジルやメキシコ、ペルーなどに広がり、国際的な連携作業も必要になってきています。そのために、現地の日系人とのコミュニケーションは日本語、スペイン語、英語と対応スタッフにより使い分けています。ただし、クロスボーダーのデジタル化には物流などのリスクが伴うことから、基本的に現地でデジタル化を行なっています。このように、原紙は現地で保管するという地元のコミュニティーによる歴史資料保存、ヘリテージを尊重しています。これらの広範囲にわたる協力が得られるのも、貴重な新聞を保存、活用してもらいたいという思いが合致しているからでしょう。その結果、世界中の邦字新聞が一つのサイトで横断検索できる「ワンストップ・ショップ」のパワーを発揮できるようになりました。

ここで1つ、日系社会に関する歴史的な背景を考察する必要があります。1941年12月7日(日本時間8日)に起こった真珠湾攻撃によって、少なくともアメリカ大陸に暮らしていた日系人社会は強制収容などの人的、物理的はダメージだけではなく、文化上、言語上の計り知れないダメージを被りました。ほとんどの国で、日本語新聞が発禁になり、日系コミュニティーは現地の言語へのシフトを余儀なくされていきます。そればかりか、日本語で書かれた文書は反現地政府活動の証拠と解釈されることを恐れ、その多くは自主的に処分されました。また、処分されなかった文書でも、強制収容所に持っていける荷物が限られていたこと、不在期間中に新たに入ってきた住人が処分してしまったなど、戦前の一次資料が大量に喪失される惨状が招かれました。そんな中で、大学図書館などが所蔵していた邦字新聞が難を逃れ、今日でも日系社会の日々の暮らしを再現できる材料となったことは歴史文書の保存の重要性を再認識する事例であると言えるでしょう。

それらの貴重な新聞がデジタル化され、世界各地で読めるようになり、研究者により均衡な機会を提供できることは、新聞の当初のライフサイクルを超えた使命を果たしているといっても過言ではありません。今後、全文テキスト化の性能や翻訳ソフトの向上が予想され、現地の言語しか話さなくなった若い世代や研究者にも日系人の生の声を新聞を通して知る機会が増えることを期待しています。

上田薫
スタンフォード大学フーヴァー研究所ライブラリー&アーカイブズ
ジャパニーズ・ディアスポラ・コレクション、キューレーター、リサーチ・フェロー

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