コラム

沖縄参政権獲得への道

沖縄参政権獲得への道

衆議院議員選挙法の例外規定

1889(明治22)年に制定された衆議院議員選挙法では直接国税15円以上を納める国民に選挙権が与えられました。しかしながら、全道府県にくまなく選挙権が付与されたわけではありません。同法111条に「北海道沖縄県及小笠原島ニ於テハ将来一般ノ地方制度ヲ準行スルノ時ニ至ルマテ此ノ法律ヲ施行セス」とあるように、これらの地域では選挙権が付与されていませんでした。

本コラムでは、衆議院議員選挙法制定時には選挙権が付与されていなかった地域のうち、沖縄県について解説していきます。

沖縄県に選挙権が付与されるまで

そもそもなぜ沖縄県には選挙権が付与されなかったのでしょうか。1899(明治32)年2月に衆議院で行われた衆議院議員選挙法中改正法律審査特別委員会で、内務官僚一木喜徳郎が高木正年(日本憲政史上初の視覚障害を持つ議員)の質問に対して行った答弁が参考になります。一木は1894年に沖縄で調査をし、「一木書記官取調書」をまとめているなど、沖縄県行政に精通していました。一木の答弁は以下のようなものでした。

沖縄県ニ於テ此法〔衆議院議員選挙法〕ヲ行ヒマシタ所ガ、選挙権ヲ持ッテ居ルモノガ殆ド無カラウト思ヒマス、今日ノ所デハ、営業税ハ立派ニ施行シテ居リマスカラ、営業税ヲ納メルモノハアリマスガ、是ハ市街地ガアリマシテ、納メテ居ルモノハ極ク僅少ナモノデ、多クハ鹿児島カラ行ッテ居ル商人等デアルト云フコトデゴザイマス、〔中略〕地租ニツイテハ、那覇首里ト云フ重モナ土地ハ地租ヲ納メテ居リマセヌ、其他ハ一少部分ハ、所有権デモ今日認メテ居ラヌ姿ニナッテ居リマス、私有地トモ定マラズ、共有地ヤラ土地ノ性質ガ分ラズ、税ハ村デ団体デ負担シテ居ルト云コトデ、誰ガ幾ラ納メテ居ルト云フコトガ知レマセヌ、宮古島ハ人頭税デゴザイマシテ、殆ド平均ニ男女共ニ負担シテ居ル、其中、士族ハ免除セラレテ居ルト云フヤウナ訳デ、現在ノ所ハ選挙法ヲ施行シマスルト、出来タ所ガ不公平ナ結果ニナルト思ヒマス
第十三回帝国議会衆議院衆議院議員選挙法中改正法律案特別審査委員会速記録第一号

「沖縄県に選挙権が認められた衆議院議員選挙法改正の御署名原本」1
「沖縄県に選挙権が認められた衆議院議員選挙法改正の御署名原本」2
資料1「沖縄県に選挙権が認められた衆議院議員選挙法改正の御署名原本」(該当箇所は46・38コマ) 御署名原本・明治三十三年・法律第七十三号・衆議院議員選挙法改正 (archives.go.jp)

当時、沖縄県では琉球王国時代の土地制度や税制度がそのまま使われていました(「旧慣温存」や「旧慣存置」などと呼ばれています)。その制度は、一木の説明にあるように、他府県一般の制度とは大きく異なるものでした。一木はそのような状況下で沖縄県に選挙権を与えても「不公平」なものになると答弁しています。なお、沖縄県の土地制度を近代化する土地整理事業はこの発言が出された直後の1899年4月に開始され、1903年に終了しました。

結局沖縄県に選挙権が付与されるのは、1900年3月28日に公布された衆議院議員選挙法改正によってとなります。ただし、同法第111条に「本法ハ次ノ総選挙ヨリ之ヲ施行ス。但シ北海道(札幌区、函館区、小樽区ヲ除ク)、沖縄県ニ付テハ勅令ヲ以テ別ニ施行ノ期日ヲ定ム」とあるように、同法公布後直ちに選挙権が行使できるわけではありませんでした。実際に行使できるようになったのは、1912年3月29日の勅令によってでした。

宮古・八重山への選挙権

上述の1900(明治33)年衆議院選挙法改正において沖縄県の選挙区は「那覇区、首里区、島尻郡、中頭郡、国頭郡」と定められており、その選挙区から2人を選出することとしていました。つまり、宮古・八重山の先島諸島には選挙権が与えられていなかったことになります。この点に関し、1906年宮古島の平良の大村寛城らより宮古・八重山に選挙権が付与されていないのは、「不公平ニシテ一視同仁ノ趣旨ニ背ク」ということから選挙権の付与を求める請願がなされ、貴族院で採択されています。

結局、宮古・八重山にも選挙権が与えられたのは1919年5月22日に衆議院議員選挙法が改正されたことによってでした。これにより、沖縄県全域に選挙権が付与されることとなりました。

草野泰宏(アジア歴史資料センター調査員)

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