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資 料 |
解 説 |
板垣退助 |
戊辰戦争 |
レファレンスコード:C09080031100
件 名:辰3月 土州板垣退助 〔3月1日より18日の報告書〕
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1枚目から8枚目にかけて、戊辰戦争中に行われた甲州勝沼での戦いの前後の経緯についての板垣の報告があります。このうち、3枚目中程に、「此日賊兵大久保剛ナル者其兵凡百七拾許ヲ率テ猿橋ヨリ甲府ニ向フ」と書かれていますが、この「大久保剛」とは甲陽鎮撫隊(旧新撰組)の長であった近藤勇の変名です。3枚目後半から4枚目にかけては、甲州勝沼の戦いについての報告です。
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レファレンスコード:C09080086700
件 名:辰4月 板垣退助 下野国都賀郡安塚村に於て合戦勝利の節分捕物品手負討死の首数別紙の通
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1枚目から16枚目にかけて、戊辰戦争中に行われた壬生城の攻防戦に際して安塚村と幕田村で起きた戦闘の結果についての板垣の報告書があります。1枚目に「四月廿二日下野国壬生領安塚幕田砲戦死傷右之通」とあり、続いて死傷者が列挙されています。
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レファレンスコード:C09080404300
件 名:7月3日 下参謀あて奥州出陣参謀補助板垣退助・伊地知正治発信
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1枚目から3枚目にかけて、戊辰戦争中に行われた磐城(現在の福島県東部)での戦いの最中に、土佐軍を率いる板垣が薩摩軍の伊地知正治と連名で記した建言書(意見を申し立てる文書)があります。ここでは、戦火によって被害を受けた住民に対して新政府が救済措置を行う意思を持っていることを、なるべく早く告知して欲しいと述べられています。
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自由民権運動~自由党総理~暗殺未遂事件
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レファレンスコード:A04017111200
件 名:単行書・単行書・大政紀要・下編・第五十七巻
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1枚目から47枚目にかけて、明治政府により編纂された歴史書である『大政紀要』の第57巻があります。このうち、2枚目左後半から3枚目中ほどにかけて、板垣(当時は「正形」という名前でした)が副島種臣や後藤元曄(象二郎)らと共に、いわゆる「民撰議院設立建白書」を左院に提出したところ正院での議論によって実現が見送られたことが書かれています。
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レファレンスコード:A03022903600
件 名:自由党挙動探聞
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3枚目左から92枚目右にかけて、警保局長から内務省書記官長に提出された探聞書を中心に、内務省でまとめられた、板垣率いる自由党の動向についての報告書類があります。
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レファレンスコード:A03023003000
件 名:岐阜県上申自由党綜理板垣退助遭害ノ件・自第一号至第五号
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1枚目から144枚目にかけて、板垣暗殺未遂事件についての警察の報告内容を岐阜県がとりまとめた資料の一部があります。このうち、17枚目から28枚目右にかけて、当時板垣を監視していた警察官による「探偵上申書」があり、27枚目右の中ほどに、襲われた板垣が「吾死スルトモ自由ハ死セン」という言葉を発したことが書かれています。90枚目左から113枚目右にかけて、事件前後の数日間の板垣の動向についての報告があり、103枚目左の後半に、板垣が自分を襲った人物に対して「我今汝カ手ニ死スルコトアラントモ自由ハ永世不滅ナルヘキトゾ」と笑って言ったことが書かれています。117枚目から121枚目にかけて、検証結果の報告があり、120枚目に、事件現場の見取り図が描かれています。123枚目左から124枚目にかけて、板垣の診断書があり、負った傷の詳細が書かれています。なお、124枚目では、診断を行った医師として、後に政治家として東京市長や外務大臣を務めることになる後藤新平の名前が記されています。
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レファレンスコード:A03023003200
件 名:内務省上申板垣退助遭害等ノ件・自第一号至第十一号
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1枚目から48枚目にかけて、板垣暗殺未遂事件後の板垣や自由党等の様子について内務省がまとめた資料があります。このうち、5枚目左の後半から6枚目にかけて、また11枚目に、他政党の新聞や民間の新聞紙上で暗殺未遂事件についての風説の類が書かれていることを警戒する報告があります。15枚目から17枚目右にかけて、また19枚目から20枚目にかけて、事件後の自由党員の動向についての報告があります。33枚目から34枚目右にかけて、東京の自由党本部から各地方部に配布された檄文があります。
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内務大臣 |
レファレンスコード:A03023349400
件 名:任内務大臣 伯爵板垣退助
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1枚目から2枚目にかけて、板垣が内務大臣に任命された際の文書があります。このうち、2枚目に、板垣の内相任命の是非を閣議にかけることを示した文書があり、1枚目に、それを経て内閣総理大臣の伊藤博文が、天皇の意思に従って板垣を内相に任命したことを天皇に伝えた文書があります。
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レファレンスコード:A03023350800
件 名:依願免本官 内務大臣 伯爵板垣退助
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1枚目から3枚目にかけて、板垣が内務大臣を辞任した際の文書があります。このうち、1枚目に、内閣総理大臣の松方正義が、天皇の意思に従って、陸軍大臣の大山巌と内務大臣の板垣の辞意を受け入れることを天皇に伝えた文書があります。2枚目左から3枚目右にかけて、板垣の辞表があります。
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レファレンスコード:A03023355400
件 名:任内務大臣 伯爵板垣退助
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1枚目から3枚目にかけて、第一次大隈内閣(通称「隈板内閣」(わいはんないかく))の組閣にあたって閣僚が任命された際の文書があります。このうち、2枚目に、海軍大臣の西郷従道が、天皇の意思に従って、内閣総理大臣大隈重信をはじめとした閣僚の任命を行ったことを天皇に伝えた文書があり、その中で板垣が内務大臣に任命されたことも記されています。
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レファレンスコード:A03023358500
件 名:依願免本官 内務大臣 伯爵板垣退助
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1枚目から8枚目にかけて、第一次大隈内閣(通称「隈板内閣」(わいはんないかく))が総辞職した際の文書があります。このうち、1枚目に、この時辞職を申し出た閣僚の名前が列記されており、2枚目左から4枚目右にかけて、板垣が、辞職の経緯として、閣僚の間に確執があったことなどを天皇に伝えた文書の文面が記されています。
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