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資 料 |
解 説 |
陸奥宗光 |
県知事、県令~元老院幹事~投獄 |
レファレンスコード:A06051166200
件 名:陸奥宗光
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1枚目から9枚目にかけて、陸奥の経歴書があります。このうち、2枚目から6枚目にかけて、公職に就いてから、摂津県知事、兵庫県知事、神奈川県知事・県令、元老院幹事などを経て、明治11年(1878年)8月に土佐派の反乱計画への関与の容疑によって投獄されるまでの時期にあたる経歴が記されています。6枚目左に、「明治十九年十月廿八日 任弁理公使 十月廿九日請」とある通り、次に公職に復帰したのは投獄から8年後のことで、特赦による出獄、ヨーロッパ留学を経た後でした。
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レファレンスコード:C07040198800
件 名:太政官日誌明治8年第142号
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1枚目から4枚目にかけて、明治8年(1875年)の太政官(内閣制度ができる前の制度における、国の行政をつかさどる最高機関)の日誌の一部があります。このうち、2枚目に、11月28日の記録があり、「任元老院幹事 議官正五位 陸奥 宗光」、つまりこの日に陸奥が元老院幹事に任命されたことが記されています。
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レファレンスコード:C04028240500
件 名:太政官より陸奥宗光幹事を免せられ候旨
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1枚目に、陸奥が元老院幹事の職を辞任したことを伝える文書があります。冒頭に「元老院幹事 陸奥宗光 依願免本官」と書かれているのは、辞職が陸奥自らの意思によるものであることを示しています。陸奥が土佐派の反乱計画への関与の容疑によって投獄されたのは、この2ヶ月余り後のことでした。
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政界復帰 |
レファレンスコード:A03020048400
件 名:御署名原本・明治二十二年・条約七月十七日・帝国ト墨西哥合衆国トノ修好通商条約
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1枚目から10枚目にかけて、日墨(日本・メキシコ)修好通商条約を批准(条約を国家として確認すること)した際の御署名原本があります。このうち、2枚目から9枚目にかけて、条約の全文があり、この最後に特命全権大使としてこの条約の締結を果たした陸奥の名前が記されています。
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レファレンスコード:A03023341500
件 名:任枢密顧問官 陸奥宗光
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1枚目から2枚目にかけて、内閣総理大臣の松方正義が、枢密顧問官であった河野敏鎌を農商務大臣に、農商務大臣であった陸奥を枢密顧問官に、それぞれ任命したことを天皇に伝えた文書があります。
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外務大臣~下関条約 |
レファレンスコード:A03023343400
件 名:任外務大臣 枢密顧問官 陸奥宗光
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1枚目から3枚目にかけて、伊藤博文が内閣(第二次)を組織するために、天皇の意思に従って諸大臣を任命したことを天皇に伝えた文書があります。このうち、2枚目の中ほどに、「任外務大臣 枢密顧問官従二位勲二等陸奥宗光」と記されています。
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レファレンスコード:A03033008500
件 名:日英通商航海条約、議定書附税目
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1枚目から14枚目にかけて、内閣総理大臣の伊藤博文が、日英通商航海条約の議定書を天皇に伝え、裁定と枢密院(天皇が政治を執り行う際の最高諮問機関で、天皇の質問に応じて国家の重大案件を審議した後、天皇に助言を行いました)に意見を聞くことを求めた文書があります。このうち、2枚目から3枚目にかけて、批准(条約を国家として確認すること)をする際の文案があり、末尾に外務大臣陸奥の名が記されています。4枚目以降に、条約の全文と、議定書の内容が収められています。
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レファレンスコード:B06150071500
件 名:分割1
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60枚目から61枚目にかけて、日清戦争終結のための下関での交渉に際して特命全権弁理大臣を務めた陸奥が、東京の外務省に対して、清への要求事項を伝えた文書があります。
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レファレンスコード:A03020213100
件 名:御署名原本・明治二十八年・条約五月十日・日清両国媾和条約及別約
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1枚目から20枚目にかけて、下関条約(日清講和条約)を批准(条約を国家として確認すること)した際の御署名原本があります。このうち、2枚目から13枚目にかけて、条約の全文が書かれています。 その末尾に、「大日本帝国全権弁理大臣 外務大臣 従二位勲一等子爵 陸奥宗光」と記されています。
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晩年 |
レファレンスコード:B06150073800
件 名:外務大臣舞子滞在中ノ往復電信控 分割2
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30枚目に、舞子で病気療養中であった陸奥が外務次官に送った電報の写しがあります。ロシア、ドイツ、フランスによるいわゆる「三国干渉」に対し、自ら東京に赴いて3国の公使と面会をするつもりであることが述べられています。
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レファレンスコード:A03023349600
件 名:依願免本官 外務大臣 伯爵陸奥宗光
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1枚目から11枚目にかけて、陸奥が外務大臣の職を辞任することを願い出た際の文書があります。このうち、2枚目から4枚目にかけて、陸奥の辞表があり、外務大臣として努力を続けてきたが、病気のために体力・気力が衰え、辞任せざるを得ないことが書かれています。5枚目から6枚目にかけては、陸奥が肺結核であることを示した診断書が、6枚目から11枚目にかけては、陸奥の直筆の書簡が、それぞれあります。
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レファレンスコード:B03030022700
件 名:蹇蹇録緒言
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1枚目から2枚目にかけて、晩年の陸奥が執筆した自らの外交記録である『蹇蹇録』(けんけんろく)の緒言(序文、まえがき)があります。 ※ 『蹇蹇録』はアジ歴ですべて読むことができます。「蹇蹇録」と検索してみて下さい。
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