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関東大震災
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レファレンスコード:A03021469200
件 名:御署名原本・大正十二年・勅令第三百九十八号・一定ノ地域ニ戒厳令中必要ノ規定ヲ適用スルノ件
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1枚目から3枚目にかけて、大正12年(1923年)9月2日に、震災による混乱を抑えるために、戒厳令の一部を適用することを定めた際の御署名原本があります。
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レファレンスコード:A03021469300
件 名:御署名原本・大正十二年・勅令第三百九十九号・大正十二年勅令第三百九十八号(一定ノ地域ニ戒厳令中必要ノ規定ヲ適用スルノ件)ノ施行ニ関スル件
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1枚目から2枚目にかけて、戒厳令の一部を適用する地域を、東京市、荏原郡、豊多摩郡、北豊島郡、南足立郡、南葛飾郡とすることを定めた際の御署名原本があります。
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レファレンスコード:A03021469400
件 名:御署名原本・大正十二年・勅令第四百号・関東戒厳司令部条例
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1枚目から3枚目にかけて、大正12年(1923年)9月3日に、戒厳令の一部適用にともない関東戒厳司令部を設置することを定めた(関東戒厳司令部条例)際の御署名原本があります。
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レファレンスコード:C08050994900
件 名:関東戒厳司令部情報
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1枚目から31枚目にかけて、関東戒厳司令部情報部による大正12年(1923年)9月7日から9月26日までの報告があり、東京市内を中心に、震災後の各地の軍隊の救援活動の状況や被災の状況などが記されています。このうち、2枚目上段に、一般の人々を無料で乗せる海軍の艦船の出港時刻の告知があり、3枚目下段に、アメリカのアジア艦隊のアンダーソン司令長官が救助活動を申し出たことを伝える記事があります。
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レファレンスコード:C08050975600
件 名:震災航空関係(5)
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2枚目から59枚目にかけて、震災発生から8日後の大正12年(1923年)9月9日に横須賀海軍航空隊が撮影した、伊豆半島、三浦半島、東京湾沿岸、館山湾の航空写真があります。このうち、51枚目から57枚目にかけて、特に火災の被害の大きかった横浜、東京の写真があります。
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レファレンスコード:C08050978300
件 名:連合艦隊関係(2)
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1枚目から50枚目にかけて、震災発生後に日本海軍連合艦隊の艦船の被害状況視察、救援物資や救護にあたる兵員の輸送などの行動についての記録があります。このうち、25枚目、26枚目、30枚目、33枚目、35枚目、36枚目、39枚目などに、避難民を静岡県の清水や青森県に向けて輸送していたことが記されています。
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レファレンスコード:A08071788200
件 名:帝都復興院事務経過(復興局)
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1枚目から140枚目にかけて、復興事業にあたる政府機関として震災の翌日に設置された帝都復興院が行った事業を、事業を引き継いだ復興局が大正13年(1924年)にまとめた「帝都復興院事務経過」があります。
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レファレンスコード:A08071788600
件 名:復興事業進捗状況(復興局)
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1枚目から84枚目にかけて、帝都復興院から復興事業を受け継いだ復興局が、昭和3年(1928年)12月末の時点で事業についてまとめた「復興事業進捗状況」があります。
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