日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)11月12日
東郷外務大臣、野村大使に対し、日米交渉を予備的なものであると了承しているという旨のクレーギー駐日イギリス大使の発言及び、東郷大臣の「帝国政府の最後的対案提示である」との発言を通知
資料1:B02030721900 7 昭和16年11月10日から昭和16年11月11日(19画像左〜22画像)
「昭和十六年十一月十二日東郷大臣発野村大使宛公電第七六四号 日米交渉(英国大使ト会談)(館長符号)(原議)」
画像資料
資料2:B02030738900 11 外交資料 日米交渉記録ノ部 日米交渉資料(四) 東條内閣時代(上) 1(18画像左〜19画像)
「二四、十一月十二日東郷大臣発野村大使宛電報第七六四号(大臣英大使会談ノ件)」
画像資料
 昭和16年(1941年)11月12日、東郷外務大臣は、野村大使に対し、クレーギー駐日イギリス大使が、東郷と会談した際に、日米交渉は予備的なものであると了解していると発言したのに対し、東郷は日本側が最終提案を行い交渉は最終段階に入っている、と発言した旨を通知しました。
 資料1は、その際の電報です(ただし、電報の末尾は失われています)。このなかで東郷は、上記クレーギー大使の発言について、アメリカ政府がイギリス政府に対し、日米会談は予備的意見交換の域をでないものであると説明していることは明らかである、と述べています。そのうえで、交渉が最終段階に入り事態は日を追って緊迫の度を強めている現在、アメリカ政府がこのような悠長な態度をとっていることは、日本政府としては非常に遺憾なことなので、野村大使にこれまでの訓令の意を体し、アメリカ側を啓蒙し交渉が急速に妥結するよう奮闘して欲しい、と伝えています。
 また、資料2は、昭和21年2月に作成された『外交資料 日米交渉資料』の同じ電報の部分で、こちらには全文が収録されています。
このページを閉じる