昭和16年(1941年)9月2日
野村大使・ハル米国務長官会談
|
|
|
資料1:B02030717600 17 昭和16年8月28日から昭和16年8月29日(7画像〜11画像)
「昭和16年9月2日野村大使発豊田外務大臣宛公電第七六二号(極秘、館長符号)」 |
|
|
|
資料2:B02030718000 2 昭和16年9月3日から昭和16年9月4日(2画像)
「昭和16年9月3日野村大使発豊田外務大臣宛公電第七六六号(極秘、館長符号)」
|
|
|
|
昭和16年(1941年)9月1日午後8時(米時間)、野村駐アメリカ大使はハル米国務長官を訪問し、両者の会談が行なわれました。
資料1は、野村大使から豊田外務大臣に宛てられた、会談の内容についての報告です。なお、資料2は、資料1の電報の不明箇所についての補足電報です。
資料1によれば、ハルは太平洋の平和維持は結構としているが、近衛内閣の武断政策から平和政策への方針転換が世論の反対で退却を余儀なくされるのではないかとの懸念を示しているとあります。これに対し、野村は近衛総理大臣の政治的地位について説明を行ない、このような懸念は絶対無用と発言したところ、ハルから日本政府が世論及び有力政治家・軍人などを指導して平和政策に共鳴させることが望ましいとの発言があったとあります。続いてハルは、中国は平和を欲していないし、中国人は日本にそのうち武断政府が出現するものと認めていると発言しますが、野村は、中国は「米国ノ駄々ツ子」で勝手をいっているだけだと返しています。これに対して、ハルはいつものように中国を怒らせないで日中の友好関係を回復することはなかなか骨の折れる作業であり、イギリスその他の国を納得させる必要があると述べ、野村は、懸案中の自衛権問題(主権の尊重)は難しい問題ではなく、無差別主義(商業上の機会均等を含む均等の原則支持)は今回のステートメントでも容認しているし、「近衛メッセージ」にもある通り解決の方法があるだろうとし、中国北部・内モンゴルへの駐兵問題も無期限ではなく、時の状況によって解決するもので日本政府に案があるとしています。そして、最後に野村からハルに、要するに政治的大局から見ればアメリカとしても2方面のトラブルを欲する理由はないし、日本も極東の平和維持を念頭に置くことは明らかで、この点は何の疑いもないという強い主張がなされ、日米首脳会談の速やかなる実現が勧告されました。これに対して、ハルも太平洋の平和確保は喜ぶべきことだという発言が出たとあります。また、続く文章で、野村は会見の候補地についての話が進まなかったとしながら、ホノルルを候補地の一つとして挙げています。
|
|