昭和16年(1941年)8月14日
平沼驥一郎無任所大臣狙撃事件
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資料1:A03024750600 平沼男遭難と米、支報道 重慶ロイテル八月十四日 桑港八月十四日(1画像〜2画像右)
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資料2:B02030608200 3 昭和16年8月8日から昭和16年8月22日(10画像)
「昭和16年8月18日在上海総領事堀内干城発外務大臣豊田貞次郎宛公電普通第二二五九号 大公報ノ平沼事件二関スル「コムメント」報告ノ件」
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昭和16年(1941年)8月14日、平沼驥一郎無任所大臣が、国家主義団体の一員に狙撃されるという事件が起こりました。平沼大臣はこの時重傷を負いましたが一命はとりとめ、後に政界への復帰を果しています。
資料1では、8月14日付の重慶(中国)とサンフランシスコ(アメリカ)における平沼大臣狙撃事件の報道が紹介されています。「日本現内閣の根本政策に対する国民の不満が表面化したるに外ならず、かかる傾向は愈々増大すべし」との見解・宣伝に各報道が一致しているとのコメントが付されています。
資料2は、上海総領事の堀内干城が外務大臣の豊田貞次郎に対して、8月16日重慶発「ロイター」電の中身を書き送ったものです。ロイター電によると、中国紙「大公報」が平沼大臣の狙撃事件に関して以下のように論評したことが明らかとなっています。「平沼狙撃事件ハ現状維持的近衛内閣二不満を抱ケル過激分子ノ積極的行動強要ヲ意味スルモノニシテ如何ナル政策モ軍部ノ圧迫モ最早国民ノ不満ヲ抑制スル力ヲ有セス今回ノ事件ニ依リ日本ノ軍当局ハ益々人民ノ自由ヲ束縛スルニ至ルヘキモ日本国民ハ現政府ヲ倒シ新日本ヲ建設シテ平和ヲ獲得シ日支ノ協力及共栄ヲ計ル為ニ起ツヘキナリ」。資料1と同様の見方がここにも示されていることがわかります。
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