日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)7月29日
野村大使、ウェルズ米国務長官代理と会談(資産凍結と出入港問題について)
資料1:B02030749200 野村大使報告書/3(11画像)
「七月二十八日「ウェルズ」ト会談」
画像資料
 昭和16年(1941年)7月28日午後5時(米時間)、野村駐アメリカ大使はウェルズ米国務長官代理を訪問し、資金凍結令と龍田丸出入港に関する会談を行ないました。
 資料1は、野村が帰国後の昭和17年(1942年)に執筆した在米任務報告書です。会議の具体的内容について報告しています。これによれば、野村は日本郵船会社の龍田丸がサンフランシスコ港に入港できない状況に鑑み、この出入港問題と資金凍結令の関係について会談を行なったとあります。野村はウェルズに対し、あなたは日米両国の平和は過去90年間一度も破れたことはないと言ったが、両国の政策に対し今和解の道を発見しなければ危険の方向に向かいかねないし、これを避ける「ステーツマン・シップ」(政治的手段)がないとするのは人類に対する大罪であると述べています。これに対しウェルズは、24日にルーズヴェルト米大統領が提議したこと(米時間24日の野村大使・ルーズヴェルト米大統領第3回会談を指す)は重要であると述べ、野村はその点については詳細に報告したと返答しています。
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