昭和16年(1941年)3月1日
野村大使、本国に対し、井川中央金庫理事について問い合わせ |
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資料1:B02030714300 1 昭和16年2月15日から昭和16年3月15日(9画像左〜10画像)
「昭和16年3月1日野村大使発松岡外務大臣宛公電(外機密、館長符号)」 |
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昭和16(1941年)3月1日、野村駐アメリカ大使は、産業組合中央金庫理事の井川忠雄について問い合わせをしました。
資料1は、その公電です。この問い合わせには、次のような背景がありました。昭和15年(1940年)11月末、米国からメリノール会のウォルシュ司祭とドラウト神父が来日しました。彼らの来日は、表向きは布教目的でしたが、真の目的は日米国交打開の問題を日本政府の要人と話し合うことで、まず滞米経験のある元大蔵省官僚で産業組合中央金庫理事の井川に接触したものでした。ウォルシュ、ドラウトと井川は、日米国交改善のための日米協定の具体案を作成し、ウォーカー郵政長官に報告、ウォーカーはハル国務長官に二人の日米協定案についてのメモランダムを提出します。井川はその後、私的な資格で渡米し、対米工作を続けます。渡米前、井川は近衛文麿首相と会い、渡米後の交渉についても近衛に詳細に報告しています。しかし、あくまで私的な資格での交渉活動であったため、野村大使は松岡洋右外相に対し、近衛や松岡、そして陸海軍が井川とどのような関係にあるのかについて打診したのでした。こうした井川の活動は、伊藤隆・塩崎弘明編『井川忠雄 日米交渉史料』(山川出版社、近代日本史料選書5 1982年)にまとめられています。 |
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