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Q&A

公務員試験及び外交官試験はいつからはじまったの?

明治時代から始まりましたが、現在の試験制度になったのは終戦後です。


1885(明治18)年12月に、内閣制度が始まり、伊藤博文が初代の内閣総理大臣に就任しました。


伊藤内閣は、明治政府を引っ張ってきた旧薩摩藩(現在の鹿児島県)・旧長州藩(現在の山口県)出身者でしめられた藩閥による政権に対する批判に対応し、現在の公務員に相当する官吏の任用基準を明確にするため、1887(明治20)年に文官試験試補見習規則(Ref.A15111276900)を制定しました。


これにより、現在の公務員試験に繋がる試験制度がはじまりました。


この制度に基づき、試験は、エリート官吏(奏任官)の任用資格を付与するための高等試験と、一般官吏(判任官)の任用資格を付与するための普通試験の2種類が誕生しました(なお、局長以上は、勅任官として試験によらず、天皇や政府の推薦により任用されました)。


ところが、文官試験試補見習規則で、高等試験合格者のほかに、帝国大学卒業者などの無試験での任用が認められたため、1888(明治21)年からの高等試験開始にもかかわらず、任用された官吏の多数を帝国大学出身者の無試験任用者が多数を占めた上、藩閥が新たに任用された官吏に強く抵抗しました。


これを受けて、伊藤内閣は、帝国大学卒業者の無試験任用と、任用における藩閥の影響を排除するための改革を行い、奏任官の任用を原則、文官高等試験によるものとする文官任用令(Ref.A15112612600)及び文官試補及見習規程(Ref.A15112612700)を1893(明治26)年10月に制定しました。


これら官吏とは別に、外交官、領事官及びそれを補助する在外公館実務職員については、1893年9月の外交官領事官及書記生任用令(Ref.A15112612900)及び同年10月の外交官及領事官試験規則(Ref.A15112613200)において任用試験制度が始まりました。




1937年の日中戦争開始によって戦時体制に入りました。


これに伴い、武力を中心として紛争解決を図る方針をとるようになり、専門の外交技術は重視されなくなりました。


これに伴い、1941年(昭和16年)1月の高等試験令(1917(大正6)年制定、Ref.A03022550400)を改正しました。


なお、制定時の命令は高等官吏と外交官、領事官の試験を統合しました(Ref.A03033854000)。


戦時体制が強化されるに従って、軍需産業の強化や戦争遂行のための経済統制強化が行われ、それに伴い、産業が官庁の業務と密接に結びつくようになり、産業界、経済界から官庁内部へ人材を送り込む必要が生じました。


そこで、1941年(昭和16年)1月、文官任用令(Ref.A03022550600)を改正し、学識、技能、経験を有する者として、これらの者を幅広く無試験で任用できるようにしました。




戦争が激化し、学生が勤労奉仕に動員され、または召集されるようになるに伴い、高等試験を続行することができなくなりました。


これを受けて、1943年(昭和18年)11月に高等試験の停止に関する件(Ref.A14101211100)を制定し、翌年及び翌々年の高等文官試験を中止しました。


それに代わり、高等文官の任用資格の特例に関する件(Ref.A04017718500)及び奏任文官銓衡委員会官制(Ref.A14101309700)を発して、各省を通じて、文官銓衡委員会に候補者の履歴を提出させ、適当と認めた者に自宅で論文を書かせて任用しました。




 1945年(昭和20年)に日本が受諾したポツダム宣言(Ref.B02033037100)に「日本国国民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障礙を除去」することが課されたことに伴い、官吏制度の改革が進められました。


1946年(昭和21年)3月の官吏任用敍級令(Ref.A06050033000)により勅任官、奏任官、判任官が廃止され、それぞれ一級、二級、三級の区分となりました。


1947年5月に施行された日本国憲法の第15条(Ref.A13110628200)に公務員の任命権が国民固有の権利と規定され、同憲法施行に合わせて1947年(昭和22年)5月に交付された「官吏の任免、敍級、休職、復職その他の官吏の身分上の事項に関する手続に関する政令」(Ref.A15111658400)により、これまでの大日本帝国憲法第10条で認められていた天皇による官吏任命権が認められなくなり、勅任官に相当する一級官吏の任命権者が内閣となりました。


しかし、国家公務員の任用において等級を設けるという枠組みは残りました。


1947年12月に施行された国家公務員法(Ref.A13110628200)は、第36条で、公務員の任用が原則的として競争試験によるものとされ、これに伴う新たな試験として、1949年(昭和24年)1月に第1回の国家公務員試験(受験資格が大卒程度のみ)が行われました。





画像1 東京帝国大学本郷校舎の教室で開かれた高等文官試験、1946年11月(林重男撮影)

同年12月の第2回国家公務員試験からは、同試験が「6級職採用試験」(受験資格が大卒程度。現在の国家公務員採用総合職試験に相当)、「5級職採用試験」(受験資格が旧高専卒で現在の制度では大学に相当)程度。現在の国家公務員採用一般職試験(大卒程度相当)に分離され、さらに翌1950年(昭和25年)年から「4級職採用試験」(受験資格が高卒程度。現在の国家公務員採用一般職試験の高卒程度相当)が始まりました。


同年には、外交官領事官試験が復活し(後の外務公務員採用Ⅰ種試験)、2001年(平成13年)に国家公務員採用Ⅰ種試験(現在の国家公務員採用総合職試験に統合)、外務書記生試験(現在の外務省専門職員採用試験)が開始されました。


現在は、政府の業務が多様化したことに伴い、このほかに、国税専門官、航空管制官など、多様な専門職採用試験が行われています。

【 参考文献 】

  • 日本公務員制度史研究会編著『官吏・公務員制度の変遷』第一法規出版、1982年
  • 竹本信介「戦後日本外務省内の『政治力学』-外交官試験と外務省研修所の考察を手がかりに-」『立命館法学』2010年1号、2010年
  • 森園幸男編、吉田耕三編、尾西雅博編『逐条 国家公務員法』学陽書房、2015年
  • 人事院『採用試験の在り方を考える専門家会合報告書』2009年3月

【 参考資料 】

  • 文官試験試補見習規則ヲ定ム(Ref.A15111276900
  • 文官任用令及文官試験規則ヲ定ム(Ref.A15112612600、1~8画像目)
  • 文官試補及見習規程、雇員ヲ判任文官ニ任用スルノ件并文官任用令施行前ノ規程ニ依レル試補等ニ関スル件ヲ定ム(Ref.A15112612700、1~5画像目)
  • 外交官領事官及書記生任用令并領事官特別任用令ヲ定ム(Ref.A15112612900
  • 外交官及領事官試験規則ヲ定ム(Ref.A15112613200
  • 御署名原本・昭和十六年・勅令第一号・高等試験令中改正ノ件(Ref.A03022550400
  • 高等試験令外四件(大正六年)(Ref.A03033854000
  • 御署名原本・昭和十六年・勅令第三号・文官任用令中改正ノ件(Ref.A03022550600、2画像目)
  • 高等試験ノ停止ニ関スル件ヲ定ム(Ref.A14101211100
  • 御署名原本・昭和二十年・勅令第七七号・高等文官ノ任用資格ノ特例ニ関スル件(Ref.A04017718500
  • 昭和十八年勅令第八百五十二号高等試験ノ停止ニ関スル件中ヲ改正シ○高等文官ノ任用資格ノ特例ニ関スル件○奏任文官銓衡委員会官制○司法官試補及弁護士試補銓衡委員会官制ヲ定ム(Ref.A14101309700
  • 1.(条約集)/2.ポツダム宣言(米英華三国宣言)(Ref.B02033037100
  • 官吏任用叙級令(Ref.A06050033000
  • 帝国憲法ヲ改正スル(日本国憲法)(Ref.A13110628200
  • 大日本帝国憲法(Ref.A15111658400
  • 国家公務員法(Ref.A13110873400