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もちろん働いていました。
日本の基幹産業を支えたこともあります。
戦前の女性も様々なところで働いていました。
タイピスト、電話交換手、「エアガール」(客室乗務員)といった花形職業もありましたが、近代日本の産業を担っていたのは製糸業の女性です。
明治の初めに働いていたのは旧士族の「工女さん」ですが、1877(明治10)年以降になると、工場には貧農の女性が大半を占めるようになりました。
製糸業は産業の中心となり、大蔵大臣の松方正義が「日本の軍艦は総て生糸を以て購求するもの 」と演説するほど「富国強兵」の要となりましたが、工場の労働条件はよいものではありませんでした。
農商務省の『職工事情』には、きつい夜間労働や粗末な食事、狭くて不衛生な寄宿舎の実情が調べられていますが、工場労働をする女性が増える一方で、こうした環境は大正、昭和に入っても改善が難しいものでした。
女性の仕事として定着した製糸・紡績業は、昭和恐慌の打撃を受けます。
富岡製糸場で有名な群馬県の場合、地場産業に変わって1930年代から軍需生産が進み、1940年代には、桐生など各地の繊維業の工場が企業整備で閉鎖し、航空機生産の工場に転換しました。
生産の場が変化する中、女性の「働き方」も戦争体制に組み込まれていきます。
政府では、女性が軍需産業に携わると「淳風美俗」である家族制度が脅かされるという懸念が強かったのですが、男性が次々と戦地へ送られ、国内の働き手が減ると、女性の労働動員が現実化していきました。
まず、1941(昭和16)年8月の「労務緊急対策要綱」(Ref.A03023597300)で満16歳以上25歳未満の女子を動員する対策が進められましたが、年齢は徐々に引き下げられ、1943(昭和18)年9月の「女子勤労動員ノ促進ニ関スル件」(Ref.A06050929800)では満14歳以上25歳未満、1944(昭和19)年3月の「女子挺身隊制度強化方策要綱」(類02878100)では満12歳以上40歳未満(無配偶者)が対象となりました。
労働動員は国民登録とともに進められました。
はじめは、満16歳以上25歳未満の未婚女性に「自願登録」をすすめ、徐々に拡大し、1944年2月の「国民職業能力申告令改正」(Ref.A03010199900)では満12歳以上40歳未満の者を登録の対象としました。
これらは「直ちに徴用にはつながらない」としつつ、女性を選別して組織するときの基本データとなりました。
1944年3月の「女子挺身隊制度強化方策要綱」では登録したすべての女性を動員対象として選抜すると定め、組織化は学校や町内会などを通じて学校別、地域別に進められました。
そして、1944年8月に「女子挺身勤労令」(Ref.A03022306600)が発布されると、国民登録をした未婚女性は職場で働くことが義務化されました。
この勅令は日本本土に限らず、沖縄・台湾・朝鮮でも公布されました。
実効力は地域によって様々でしたが、一層多くの女性を軍需生産に投入する道が開けたといえます。
この間、動員された女性は「生産戦士」と呼ばれ、航空機の旋盤作業や軍服の縫製作業などで働きましたが、慣れない作業で大怪我をすることもありました。
また、軍需工場は空襲の目標になったため、作業は命がけのものでした。
女性を戦時労働力としたのはドイツや米国、英国でも同じでしたが、他国では既婚者も加わった一方で、日本では「家庭の主軸」は対象外とされたため、未婚女性は工場で、既婚女性は家庭で「銃後を守る」ことになりました。
戦後、男性が復員してくると、女性は「家庭への復帰」を呼びかけられます。1945年(昭和20年)12月、厚生大臣の芦田均は、女性や高齢・若年者は速やかに男性に職を譲るようにと述べましたが、すでに戦争で一家の稼ぎ手を失った女性も多く存在しました。
その後、復興の中、軍需工場の民需転換や繊維産業の復活で女性の雇用は再び広がり始めました。
また、戦争中の女性の働きぶりから、性別による能力の差がないことがわかると、男女間の賃金格差が当然ではなくなりました。
1947(昭和22)年に制定された労働基準法第4条では「使用者は労働者が女子であることを理由として、賃金について男子と差別的取扱をしてはならない」と規定し、世界で最も早い男女同一賃金法が誕生しました。
一方、「女子保護規定」により生理休暇も世界に先駆けて認められましたが、この規定は、「弱い女性を保護する」という意味で、過酷な労働から女性を守ることができた反面、男女の平等雇用の点では問題がありました。
この解決には1985年の男女雇用機会均等法の制定を待つことになります。
現在、「女子保護規定」は、育児や介護に男女平等の負担が求められていく中、1999年に改定されました。