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Q&A

CMでよくみるビールの銘柄はいつからあったの?

前身となる会社の設立は明治にさかのぼりますが、現在の銘柄でビールが作られたのは第二次世界大戦後です。


日本の大手ビール会社の起源は、1880年代から1890年代にさかのぼります。


1885年(明治18年)に横浜に居留した欧米人が設立した香港の法人が、1988年(明治21年)に「麒麟麦酒」ブランドのビールを製造しはじめました(同法人を日本人資本家が引き継いで1907年に麒麟麦酒株式会社を設立しました)。


1887年(明治20年)に日本麦酒醸造会社(東京所在のヱビスビール生産会社)、1888年に札幌麦酒会社(サッポロビールの起源)、1989年(明治22年)に大阪麦酒会社(アサヒビールの起源)がそれぞれ設立されました。


1901年(明治34年)の麦酒税法成立とビール会社間の競争激化に対応するため、札幌麦酒、日本麦酒、大阪麦酒は合併して大日本麦酒となりました。


1937年(昭和12年)7月の日中戦争勃発を契機に、ビールの生産の面でも消費の面でも、軍や兵士優先となりました。



画像1 価格等統制令(Ref.A03022405000

まず、民間向け商品の生産のための物資及び人員を軍用商品生産に回す財源として、同年、ビール税の増税が決まりました。


翌1938年(昭和13年)4月に国家総動員法が制定し、戦争遂行のために物、ヒトの総動員を目的に、経済のあらゆる分野をコントロールする権限を政府が持つようになりました。


ただ、資源を輸入に頼り、生産した商品を輸出して外貨を稼ぐ構造にあった日本経済にとり、民間向け商品生産削減に伴う価格上昇は、輸出入には不利に働きます。


このことから、まず、政府は、1938年7月に物品販売価格取締規則(Ref.A16110307600)を制定し、翌1939年(昭和14年)3月にビールをその対象商品としました。



画像2 第24類 附録/艦船部隊酒保納入承認一覧表(Ref.C12070588000

さらに同年10月には同規則に代わって価格等統制令(Ref.A03022405000)が制定され、ビールはその規制対象となりました。




大日本麦酒、麒麟麦酒、東京麦酒、桜麦酒を含む、日本、朝鮮、台湾のビール会社計7社で作ったビール協会は、1941年(昭和16年)12月の太平洋戦争開戦により原材料の制約が増加したことに対応し、翌年9月に中央ビール販売株式会社を設置し、同社にビールの販売を一手に引き受けさせました。


1942年(昭和17年)3月には、閣議決定「戦力増強企業整備基本要領」(Ref.A03023599200)で、軍事及び軍需産業への労働力供出のために小売業の整理統合方針が決められ、ビールの販売場数削減が試みました。


併せて、1940年(昭和15年)から、軍人・軍需産業労働者用(Ref.C12070588000)、輸出及び(台湾・朝鮮への)移出用を別枠として、それ以外のビールを家庭用、飲食店向けの業務用、冠婚葬祭及び兵隊に行く人を送る宴会のための特配用に分けて配給が開始されました。



画像3 家庭用ビールラベル
(提供元:キリンビール)

家庭用ビールが業務用に流れないように、瓶のラベルに用途を明記するようになりました。


1942年5月に施行された企業整備令(Ref.A03022740300)により、大日本麦酒の工場の1つが中島飛行場株式会社(主に軍用機を製造していた会社)に、東京麦酒の工場の1つが、当時軍事用測定機器や無線機、兵器を生産していた沖電気株式会社に売却され、大日本麦酒による桜麦酒合併も行われました。




終戦後、GHQは、日本占領政策の一環で、経済の「民主化」といわれる政策を行いました。


具体的には、財閥や巨大企業は軍国主義の協力者であり、また、労働者に低賃金を強制し、独立の企業者の創業を妨害することで巨大な利益を蓄えて国内市場を萎縮させ、海外市場を求めるための戦争に国民を駆り立てたため、解散すべきであるとの考えをもっていました。


この考えをもつGHQの指示を受け、日本政府は1946年(昭和21年)4月に持株会社整理委員会令(Ref.A13110655100)を制定し、同年8月に持株会社整理委員会を発足させました。


同委員会は、同委員会令に基づき、持株会社を指定してその所有する有価証券を処分し、同会社を解散させる任務を担いました(財閥解体)。


1947年(昭和22年)12月に過度経済力集中排除法(Ref.A13110928400)が制定され、この法律により、持株会社整理委員会は「過度に経済力が集中している組織」を指定する義務も負うことになりました。


この法律に基づき、大日本麦酒が指定を受け、ニッポンビール(現在のサッポロビール)とアサヒビールに分かれました。


これにより、キリンビールを含めた大手3社が現在に至っています(なお、オリオンビールは1957年(昭和32年)に、サントリーは1963年(昭和38年)にそれぞれ参入しました)。




第二次世界大戦に伴う工業生産の打撃にともなう物資不足により、国家総動員法に代わり、1946年9月に臨時物資需給調整法(Ref.A13110723400)が施行され、配給制度と価格統制は維持されていました。


戦時中に販売独占していた会社から配給を引き継いでいた酒類配給公団が1949年7月に廃止され、1952年(昭和27年)4月に臨時物資需給調整法が廃止されることによって配給制度が終了し、価格統制も1962年(昭和37年)の特殊用途酒(農業従事者等に対して提供する低価格の酒)の廃止により、終了しました。これにより、ビールの生産から販売に至るまで、現在の体制に戻ったと言えます。

【 参考文献 】

  • 後藤一郎「マーケティングと経済統制(1)」『大阪経大論集』第55巻第3号、2004年9月、3~17頁
  • 後藤一郎「マーケティングと経済統制(2)」『大阪経大論集』第55巻第4号、2005年11月、15~31頁
  • 後藤一郎「戦後におけるマーケティングの胎動」『大阪経大論集』第60巻第2号、2009年7月、151~166頁
  • 中村隆英『日本経済史7「計画化」と「民主化」』岩波書店、1989年1月、38~119頁
  • 後藤晃編、鈴村興太郎編『日本の競争政策』東京大学出版会、1999年1月、18~25頁
  • 東大社会科学研究所編『戦後改革7 経済改革』東京大学出版会、1974年5月、35~38頁、49~54頁
  • 柳田卓爾「戦前の日本ビール産業の概観」『山口経済学雑誌』第57巻第4号、2008年11月、27~63頁
  • 川上清市『キリンビール』出版文化社、2008年3月、39~41頁

【 関連資料 】

  • 六、物品販売価格取締規則制定ノ件(Ref.A16110307600
  • 御署名原本・昭和十四年・勅令第七〇三号・価格等統制令制定昭和十四年農林省令第四十二号(農林水産物及農林水産業用品販売価格取締規則)、同十三年商工省令第二十四号(綿糸販売価格取締規則)、同第三十一号(ステーブルファイバー及ステーブルファイバー糸販売価格取締規則)、同第五十六号(物品販売価格取締規則)、同第六十三号(人造絹糸販売価格取締規則)、同第七十(Ref.A03022405000)(物品販売価格取締規則については、Ref:A03022405000、8画像目)
  • 産業整備基本要綱ニ関スル件(Ref.A03023599200、5~9画像目)
  • 第24類 附録/艦船部隊酒保納入承認一覧表(Ref.C12070588000)(軍へのビール納入の記録)
  • 御署名原本・昭和十七年・勅令第五〇三号・企業整備令(Ref.A03022740300
  • 昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク持株会社整理委員会令ヲ定ム(Ref.A13110655100
  • 過度経済力集中排除法(Ref.A13110928400
  • 臨時物資需給調整法を定める(Ref.A13110723400