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解説 | 日露戦争下の1904(明治37)年4月、帝都東京における衛戍勤務の統轄を目的として設置された陸軍の組織。長である東京衛戍総督には陸軍大将もしくは中将が任じられ、天皇に直隷した。軍政や人事に関しては陸軍大臣の区処を受けた。総督部には参謀、副官等の職員が置かれた。司令部は当初、代官町(現在の東京都千代田区)の近衛歩兵第1旅団司令部内に置かれ、1905年に隼町の陸軍兵器本廠構内に移転した。東京衛戍総督は東京衛戍司令官として、近衛師団と第1師団の衛戍勤務を統轄した。東京には2個師団が常駐し、軍人軍属の数も多いため、衛戍勤務を統轄する常設の上級司令部が必要とされた。また日清戦争時に設置された東京防禦総督部と異なり、海軍への指揮権等は持たなかった。1905年9月日露講和条約に反対する日比谷焼打事件が発生した際に、東京衛戍総督は警視総監の出兵要求に応じて近衛・第1両師団を出動させ、治安維持に従事した。行政戒厳実施後は総督が戒厳司令官となり、戒厳地域の警察権を行使した。1906年9月東京市内電車運賃値上げ反対運動を抑制するため、近衛・第1両騎兵連隊の一部を補助憲兵として動員した。1913(大正2)年2月の第1次護憲運動、翌14年2月のシーメンス事件でも、治安維持を目的に軍隊を出動させた。1918年8月には、米騒動の発生に伴い治安維持のため軍隊と補助憲兵を出動させた。1919年頃から、第1次世界大戦の終結と米騒動での対応の遅れに起因して、東京衛戍総督部不要論が叫ばれるようになった結果、1920年8月に廃止された。常設の衛戍統轄機関が廃止されたため、東京衛戍司令官は、近衞師団長と第1師団長のうち先任の師団長が担当することとなった。 |
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上位の階層 | 陸軍(明治・大正期) > 帝都防衛組織 > 東京衛戍総督部 |
レファレンス コード |
「御署名原本・明治三十七年・勅令第百二十八号・東京衛戍総督部条例」Ref:A03020601500、「御署名原本・明治三十七年・勅令第百三十号・衛戍条例中改正加除」Ref:A03020601700、「東京衛戍総督部及臨時陸軍検疫部本部庁舎の件」Ref:C03026700300、「御署名原本・大正九年・勅令第二百三十二号・東京衛戍総督部条例廃止」Ref:A03021257000、「御署名原本・大正九年・勅令第二百三十三号・衛戍条例中改正」Ref:A03021257100。 |