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解説 | 師団は、日本陸軍の常備兵団における最大の編制単位。日露戦争中の1905(明治38)年、既存の全ての師団が戦地に派遣され、日本国内に駐留する師団がなくなったため、4個師団が新設された。第13師団はその一つであり、青森で編成された後、1907年9月に衛戍地が高田(現在の上越市)に決定された。初代師団長は原口兼済。第13師団は、歩兵第15旅団(新発田)と歩兵第26旅団(高田)で構成され、隷下に歩兵第16連隊(新発田)と歩兵第30連隊(村松)、歩兵第50連隊(松本)、歩兵第58連隊(高田)等が置かれた。1905年6月日本は樺太の占領のために第13師団の派遣を決定し、7月に第13師団は樺太に上陸し占領を完了した。同年9月の日露講和条約調印後は主に朝鮮北部の守備を担い、1907年2月以降は韓国全土の守備にあたった。1913(大正2)年満洲に渡り、1915年6月帰還した。シベリア出兵の際には、第13師団は1919年9月にウラジオストクに派遣され、1921年5月帰還した。1923年の関東大震災の際には、第13師団から歩兵第50連隊や歩兵第58連隊等が東京に派遣された。1925年の宇垣軍縮により第13師団は第15、第17、第18師団とともに廃止され、歩兵第15旅団と歩兵第30連隊等が高田に移駐し、第2師団の隷下に入った。日中戦争勃発後の1937(昭和12)年9月、第13師団は再度編成された。 |
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上位の階層 | 陸軍(明治・大正期) > 師団 > 第13師団 |
レファレンス コード |
「第13師団 臨時韓国派遣隊編成完結に付報告の件」Ref:C03022999000 |