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解説 | 師団は、日本陸軍の常備兵団における最大の編制単位。1871年(明治4)年に導入された鎮台制は、主として平時における国内の治安維持を目的としていたが、師団制は戦時における外征を主たる任務とした。1888(明治21)年5月の師団司令部条例の制定により鎮台制が廃止されたことに伴い、大阪鎮台は第4師団に改編された。初代師団長は高島鞆之助。第4師団は、歩兵第7旅団(大阪)と歩兵第8旅団(姫路)で構成され、隷下に歩兵第8連隊(大阪)、歩兵第9連隊(大津)、歩兵第10連隊(姫路)、歩兵第20連隊(大阪)等が置かれた。日清戦争の際には、1895年4月に第4師団に出動命令が下り、第2軍の隷下に入り直隷平野の決戦に備えたものの、大連湾到着直後に講和条約調印となり実戦には参加しなかった。1904年の日露戦争では、第4師団は第2軍の戦闘序列に加えられ、5月の南山の戦いや8月の遼陽会戦、1905年3月の奉天会戦等に参加した。1911年11月には、第4師団は皇太子(後の大正天皇)臨席の下で、第16師団を相手に師団対抗演習を実施した。1914(大正3)年11月、大正天皇を迎えて陸軍大演習が実施され、第4師団は第17師団とともに北軍を構成し、第10師団と第11師団からなる南軍と演習に参加した。1923(大正12)年の関東大震災の際には、第4師団から救護班が神奈川に派遣された。 |
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上位の階層 | 陸軍(明治・大正期) > 師団 > 第4師団 |
レファレンス コード |
「参謀総長より 第4師団動員及海外へ派遣の件」Ref:C05121548100 |