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解説 | 師団は、日本陸軍の常備兵団における最大の編制単位。1871年(明治4)年に導入された鎮台制は、主として平時における国内の治安維持を目的としていたが、師団制は戦時における外征を主たる任務とした。1888(明治21)年5月の師団司令部条例の制定により鎮台制が廃止されたことに伴い、仙台鎮台は第2師団に改編された。初代師団長は佐久間左馬太。第2師団は、歩兵第3旅団(仙台)と歩兵第4旅団(青森)で構成され、隷下に歩兵第4連隊(仙台)、歩兵第16連隊(新発田)、歩兵第5連隊(青森)、歩兵第17連隊(仙台)等が置かれた。1894年の日清戦争では、第2師団は第2軍の隷下に入り、1895年1月には第6師団とともに威海衛攻略作戦に参加した。1895年5月に樺山資紀台湾総督と近衛師団が台湾に上陸して以降、日本軍は現地住民の激しい抵抗に直面したために、第2師団の中から混成第4旅団が台湾に派遣された。1904年2月の日露戦争では、第2師団は第1軍の隷下に属し、5月の鴨緑江の渡河作戦や8月の遼陽会戦、10月の沙河会戦、1905年1月の黒溝台会戦、3月の奉天会戦に参加した。1910年4月からは韓国に2年間駐箚した。1922(大正11)年の山梨軍縮に伴い、山砲兵第1大隊が独立山砲兵第1大隊に改編された。1923年の関東大震災の際には、第2師団から歩兵第3旅団等が東京に派遣された。1925年の宇垣軍縮により、第2師団は第3旅団(仙台)と第15旅団(高田)を主軸とする体制に再編され、第3旅団の隷下には歩兵第4連隊(仙台)と歩兵第29連隊(若松)が、第15旅団の隷下には歩兵第16連隊(新発田・村松)と歩兵第30連隊(高田)が配置された。 |
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上位の階層 | 陸軍(明治・大正期) > 師団 > 第2師団 |
レファレンス コード |
「参謀本部 韓国駐箚師団交代の件」Ref:C03022998300 |