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解説 | 陸軍の師団の一つ。天皇と宮城を警護し、戦時には他の師団と共に戦地へ出征した。1872年4月(明治5年3月)に設置された近衛局を前身とし、1885年6月の近衛への改称を経て、1891年12月の近衛司令部条例改正により設置された。1894年9月日清戦争勃発により動員令が下った。1895年1月師団長の彰仁親王が参謀総長に任じられ、能久親王が近衛師団長となった。4月第2軍に属して宇品(現在の広島市)より大連湾に渡った。しかし、戦闘に参加しないまま講和が成立した。5月新たに台湾征討の任を受け、台湾へ向かった。6月基隆、台北、新竹を占領した。9月近衛師団及び第2師団で南進軍を編成して台湾南部を攻略した。その後近衛師団司令部は台南府に入り、台湾を平定した。1904年2月日露戦争で再び動員令が下ると、第1軍に編入された。5月に鴨緑江の戦い、8月に遼陽会戦、10月沙河会戦に、翌年2月から3月にわたって奉天会戦に参加した。以後、一時的に第2軍に属した。1905年9月日露講和条約成立を経て、11月より逐次帰還した。シベリア出兵では、1918(大正7)年10月に鉄道連隊、航空隊、電信隊等が逐次出征し、1919年1月から6月の間に大部は帰還した。 |
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上位の階層 | 陸軍(明治・大正期) > 師団 > 近衛師団 |
レファレンス コード |
「近衛沿革略誌 明治29年」Ref: C14060962000、「御署名原本・明治二十四年・勅令第二百四十一号・近衛司令部条例中改正加除」Ref:A03020117300。 |