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解説 | 満洲軍隷下の各軍は個別に兵站監部を置き兵站業務を行っていたが、1904(明治37)年9月の遼陽会戦の後、各兵站業務を統轄する必要が生じた。また各軍は奉天に向けて北進したため、各野戦軍に所属していた軍政委員が占領地行政を行うことが困難となった。そのため新たに遼東守備軍が編成され、兵站業務及び占領地行政を統轄することとなった。同軍司令部は1904年9月東京で編成され、11月に青泥窪(大連の旧称)に移転した。司令部・守備隊・兵站司令部・満洲軍倉庫・軍政委員・電信隊・補助輸卒隊等から構成された。満洲軍兵站管区の後方地域に兵站線を設置し各軍への兵站業務を確立すること、守備隊・兵站諸機関・軍政官衙・満洲軍倉庫等を統轄すること、管内における民政を管掌することを任務とした。管区の拡張に伴い、1904年11月遼陽派出所が、1905年4月鳳凰城派出所が設置された。占領地軍政に関しては、遼東守備軍参謀長が軍政委員長官を兼務し、その配下に軍政事務官として数名の文官が置かれた。1905年5月新設の遼東兵站監部に編入されることとなり、司令部は同年6月に復員が完結した。業務は遼東兵站監部に引き継がれたが、関東州における民政に関しては、同年5月に設置された関東洲民政署が担うこととされた。 |
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上位の階層 | 陸軍(明治・大正期) > 戦時組織 > 遼東守備軍(日露戦争) |
レファレンス コード |
「第17編/第2章 遼東守備軍/第1節 前期間」Ref:C13110400900、単行書・大正六年陸甲三一号別冊・明治三十七、八年戦役満洲軍政史・第一巻」Ref:A04017278200。 |