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解説 | 1904(明治37)年4月旅順を根拠地とするロシア太平洋艦隊の撃滅を目的として旅順要塞の攻略に従事するために、第3軍の動員が発令された。軍司令官は乃木希典。遼東半島上陸とともに、第1・第9・第11師団が第3軍の戦闘序列に入り、旅順に向かった。同年7月第14師団が編入された。8月に旅順攻囲戦第1回総攻撃、9月から10月に第2回総攻撃を実施した。11月、第7師団の編入を経て第3回総攻撃を実施し、203高地を攻撃した。1905年1月旅順要塞は陥落し、停戦となった。3月に満洲軍総司令部の指揮の下、奉天会戦に参加した。同年9月の日露講和条約を経て、11月末から1906年3月にかけて隊ごとに順次帰還した。 |
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上位の階層 | 陸軍(明治・大正期) > 戦時組織 > 第3軍(日露戦争) |
レファレンス コード |
「明治37.8.19〜24日旅順方面に於ける 第3軍戦闘詳報」Ref:C13110501600、「旅順方面に於ける 第3軍戦闘詳報 第10号 明治37.10.26〜12.6」Ref:C13110502400、「37.11.10 大山総司令官第7師団を第3軍の戦闘序列に入るる件旅順速に其の死命を制すべき手紋取らるる確信す」Ref:C06040259900。 |