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解説 | 1904(明治37)年3月第1・第3・第4師団、野戦砲兵第1旅団を基幹として編成された。軍司令官は奥保鞏。同年4月増員加兵のため、第5・第11師団と騎兵第1旅団が編入された。5月遼東半島に上陸し、南山および得利寺付近で戦った。第1・第5師団の転属と第6師団の編入を経て、北上した。満洲軍総司令部の指揮の下、8月に遼陽会戦、10月に沙河会戦、1905年1月に黒溝台会戦、3月に奉天会戦に参加した。奉天会戦後、第6師団の転属と第5師団の編入を経て、さらに北進の準備を進めた。同年9月の日露講和条約を経て、同年11月末から1906年3月にかけて隊ごとに順次帰還した。 |
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上位の階層 | 陸軍(明治・大正期) > 戦時組織 > 第2軍(日露戦争) |
レファレンス コード |
「第2章 遼東半島上陸より得利寺附近戦闘に至る迄第2軍作戦概況」Ref:C13110553700、「第4章 得利寺附近戦闘後第2軍の北進準備(1)」Ref:C13110553900。 |