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解説 | 1904(明治37)年6月大本営の指揮下に作戦軍の高等司令部として設置された。総司令官には大山巌が、総参謀長には児玉源太郎が就任した。第1軍、第2軍、第3軍、第4軍、鴨緑江軍、遼東守備隊が隷下に属した。設置の背景には、複数の軍と独立師団が遼陽に向けて分進合撃作戦を行う段階で、これらの兵力を統一的に指揮運用するという狙いがあった。8月の遼陽会戦、10月の沙河会戦、1905年1月の黒溝台会戦、3月の奉天会戦を指揮した。同年9月の日露講和条約(ポーツマス条約)を経て、12月に帰還した。 |
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上位の階層 | 陸軍(明治・大正期) > 戦時組織 > 満洲軍総司令部(日露戦争) |
レファレンス コード |
「10月22日着電 沙河会戦に於ける戦利 満洲軍総司令部」Ref:C06040956400、「11月25日満洲軍総司令部凱旋次第概況」Ref:C06041061400。 |