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解説 | 日清戦争時に澎湖島の攻略を目的に編制された部隊。日本海軍根拠地の構築や、中国南部に存在した清国海軍残存艦隊の撃滅等を目的とした。編成は1895(明治28)年1月14日に着手され、同年2月1日までにほぼ完了した。澎湖島攻略混成支隊の編制は、海軍は連合艦隊司令長官伊東祐亨(海軍中将)を筆頭に、本隊(松島・厳島・橋立・千代田)と第1遊撃隊(吉野・浪速・高千穂・秋津洲)及び第4水雷戦隊(水雷艇6隻)等から、陸軍は後備歩兵第1連隊や後備歩兵第12連隊第2大隊等から構成された。澎湖島攻略混成支隊司令官は比志島義輝(歩兵大佐)。澎湖島攻略混成支隊は連合艦隊司令長官の指揮下に置かれ、長官の下に陸軍参謀(佐官・尉官各1名)が置かれた。混成支隊各部隊は、同年2月9日から10日にかけて広島に到着し、後備歩兵第12連隊第2大隊のみ門司で合流することとなった。威海衛における清国北洋艦隊降伏後の同月14日、大本営より広島を出発して途中門司港で後備歩兵第12連隊第2大隊と合流し、同地で連合艦隊司令長官の指揮下に入るよう訓令が発せられた。同年3月6日混成支隊司令部以下は宇品を出発して、7日に門司に到着し、9日に佐世保で伊東連合艦隊司令長官と合流した。澎湖島攻略混成支隊は3月15日に佐世保を出発し、23日より澎湖島上陸作戦を開始し、26日までに占領した。日清講和条約成立後の同年6月、大本営より台湾総督の指揮下に隷属すべしとの命令が発せられ、後備歩兵第12連隊第2大隊のうち第5中隊と第6中隊を澎湖島の守備のために残して、比志島司令官は他の部隊を率いて同月4日に基隆港に到着し、台湾総督の指揮下で基隆の守備に当たることとなった。同年7月澎湖島攻略混成支隊は内地に帰還することとなり、基隆、宜蘭、澎湖島の各部隊及び司令部は同月24日に内地の編成地へと帰還した(混成支隊司令部は1895年11月30日に解散)。 |
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上位の階層 | 陸軍(明治・大正期) > 戦時組織 > 澎湖島攻略混成支隊(日清戦争) |
レファレンス コード |
「第6 日本軍の占領/其の3 攻略軍の編成」Ref:C11110362400、「電報11.30 混成隊司令官 司令部閉鎖残務は本郷大隊司令部に於て取扱」Ref:C06062011000。 |