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解説 | 日清戦争終結後に威海衛の警備を担った中心的な部隊。第6師団隷下の歩兵第11旅団(旅団長大寺安純)は、1895(明治28)年1月末に開始された山東作戦に参加し威海衛攻撃に従事した。その際、大寺旅団長が清国軍艦の砲撃により戦死した。これは日清戦争における唯一の将官の戦死者であった。後任の旅団長には伊瀬地好成が着任した。第6師団の属する山東作戦軍は同年2月2日に威海衛を占領し、歩兵第11旅団を含む第6師団は、同月22日から3月1日にかけて旅順口に移動した。同年5月に日清講和条約成批准の報が征清大総督に伝えられると、同月13日に大本営から征清大総督に対して、歩兵第11旅団を中核として混成第11旅団を編成するよう訓令された。これを受け同月16日、征清大総督より混成第11旅団長に対し威海衛駐屯が訓令された。混成第11旅団は同年11月30日までに威海衛に到着し、守備の任に就いた。これと前後して1895年10月威海衛占領軍司令部条例が発布され、同司令部が占領地の警備・防御に当たることとされた。これにより混成第11旅団は大本営の命により12月に戦闘序列を解かれ、各部隊は威海衛占領軍に編入された。 |
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上位の階層 | 陸軍(明治・大正期) > 戦時組織 > 混成第11旅団(日清戦争) |
レファレンス コード |
「10月10日調 在外各部団隊所在表 第10号の1」Ref:C06060336800。 |