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解説 | 日清戦争終結後に威海衛の警備及び防御を目的に編制された日本軍の部隊。1894(明治27)年11月22日の旅順陥落後、日本軍は直隷作戦を延期して、威海衛の清国北洋艦隊攻撃を計画した(山東作戦ないしは威海衛作戦と称される)。山東作戦は同年12月14日に正式決定され、第2師団と第6師団(混成第12旅団を除く)が使用されることとなった。司令官は第2軍司令官の大山巌。第2師団および第6師団による陸上の攻撃と、連合艦隊による海からの砲撃により、1895年2月12日に清国軍は降伏し、山東作戦は終了した。同年5月の日清講和条約批准後、同月16日に征清大総督より混成第11旅団長伊瀬地好成に対し、威海衛駐屯が訓令された。混成第11旅団は同年11月30日までに威海衛に到着し守備の任に就いた。これと前後して、同年10月22日には威海衛占領軍司令部条例が発布され、同司令部が占領地の警備・防御に当たることとされた。これにより、混成第11旅団は同年12月13日に戦闘序列を解かれ、各部隊は威海衛占領軍に編入された。威海衛占領軍司令官には混成第11旅団長の伊瀬知好成が就いた。威海衛占領軍司令部の編制は、司令官の隷下に幕僚(参謀部・副官部)、憲兵部、監督部、金櫃部、糧餉部、軍医部、獣医部、法官部、郵便部が置かれた。威海衛占領軍は、1896年3月31日の大本営解散以降は陸軍省の直属となり、同年5月31日から6月11日の間に、新たに内地より派遣された第1師団(司令官西寛二郎・歩兵第2旅団長)の部隊と順次交代し、伊瀬知司令官はその職を解かれ、旧混成第11旅団の各部隊は同年6月1日から6月9日にかけて威海衛より門司に上陸、熊本に帰着し、6月19日までに復員ないしは解散を完了した。1897年5月からは第3師団(司令官三好成行・歩兵第7旅団長)の部隊と交代し、1898年5月に清国政府が賠償金の支払いを完了したことにより、同月23日に解散となった。 |
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レファレンス コード |
「参謀本部 威海衛占領軍司令部条例」Ref:C08070434500。 |