トップページ > グロッサリー検索
解説 | 日本が台湾を植民地統治するために設置した機関。日清戦争の結果、清国より台湾及び澎湖列島の割譲を受けた日本は、清朝の台湾省組織を受け継ぐのではなく、1895(明治28)年に台湾総督府を組織した。台湾総督府は当初、内閣総理大臣の監督下にあったが、その後拓植務大臣や内務大臣等へと複数回にわたり所管大臣が変更された。同年6月台北で始政式が行われたが、住民の武装蜂起が頻発したため軍政に移行した。翌1896年4月台湾総督府条例の施行後民政に移行したが、台湾総督の武官制(総督は陸海軍大将または中将に限られた)と軍隊指揮権は維持された。台湾総督府は民政機関であると同時に軍政軍令機能を有する機関で、補助機関として民政・軍務の2局が置かれた。民政局は、行政・司法に関する事務を所掌し、総務・内務・殖産・財務・法務・学務・通信の7部が設置された。軍務局は、陸海軍軍政及び軍令に関することを所掌し、陸軍部と海軍部の2部が設置された。1919(大正8)年8月朝鮮の独立を求める三・一事件を機に、日本の植民地統治体制の修正が行われる過程で、台湾総督府官制が改正された。具体的には、総督の武官制が廃止されるとともに総督への軍権委任が解除された結果、総督の権限が一般の政務に関する統理権に限定されたことで、台湾総督府は民政機関となった。また台湾総督府の軍政軍令機能は、1919年設置の台湾軍司令部が担うこととなった。 |
---|---|
上位の階層 | 陸軍(明治・大正期) > 外地行政・軍組織 > 台湾総督府 |
レファレンス コード |
「台湾総督府条例ヲ定ム」Ref:A01200796100、 |