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解説 | 陸軍の銃砲や弾薬の製造を担った工場。1879(明治12)年10月砲兵方面条例制定により、従来の砲兵本廠(東京)と砲兵支廠(大阪)は東京砲兵工廠と大阪砲兵工廠に改編され、それぞれ陸軍卿(のち陸軍大臣)の隷下に置かれた。各砲兵工廠には提理1名が置かれ、砲兵科の大佐または中佐が当たることとされた。東京砲兵工廠は、小銃製造所・銃砲製造所・火工所・大砲修理所・火薬製造所で構成され、小銃・小銃弾薬・火薬の製造を担当し、村田銃等を製造した。大阪砲兵工廠は、製砲所・製弾所・製車所・火工所・小銃修理所で構成され、火砲・火砲弾薬・車輌の製造を担当し、加農砲・榴弾砲・臼砲等を製造した。東京と大阪の砲兵工廠がそれぞれ独立して陸軍大臣の隷下に置かれる体制は、生産効率・業務処理上問題点が多くなり、1923(大正12)年4月に両砲兵工廠を統合した陸軍造兵廠が設置され、陸軍造兵廠長官の下に東京工廠・火工廠・名古屋工廠・大阪工廠が置かれる体制に再編された。 |
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上位の階層 | 陸軍(明治・大正期) > 陸軍省外局等 > 陸軍造兵廠 |
レファレンス コード |
「砲兵工廠条例発行」Ref:C04028702600、「砲兵工廠条例中改正」Ref:C09050057100、「砲兵工廠条例」Ref:C08070273000、「御署名原本・明治二十四年・勅令第二百九号・砲兵工廠条例中改正加除」Ref:A03020114100、「御署名原本・明治三十七年・勅令第二百三十号・砲兵工廠条例第二条中追加)Ref:A03020611700。 |