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地域 | 日本 |
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都市名 | 横須賀・呉・佐世保・舞鶴 |
解説 | 海軍工廠は日本海軍の艦艇・兵器の製造・修理、艤装・兵器の保管・供給、艦営需品の調達・供給、軍器用の製鋼などを担った工場の総称。終戦までに14の海軍工廠が設置された。1886年(明治19)4月に「海軍条例」が制定され、「海軍鎮守府官制」が定まると横須賀鎮守府に造船部・兵器部が設置され、ついで呉・佐世保・舞鶴に兵器部・造船部が設置された。1897年(明治30)10月、造船部は海軍造船廠に、1900(明治33)5月、兵器部は海軍兵器廠に改編されることになった。1903年(明治36)11月、造船廠・造兵廠・兵器廠・需品庫と分立していたものを統合し、「簡便ニシテ敏活ナル」ことを目的に「海軍工廠条例」が制定され、横須賀(神奈川県)・呉(広島県)・佐世保(長崎県)・舞鶴(京都府)の海軍工廠として一元化された。1923年(大正12)4月、「海軍工廠令」が制定され、舞鶴海軍工廠はワシントン軍縮条約の影響で工作部に格下げとなるが、1936年(昭和11)7月に工廠へと復帰している。当初の海軍工廠には造兵部・造船部・造機部・会計部・需品庫が置かれ、さらに呉海軍工廠には製鋼部が置かれた。呉には後に砲熕部・水雷部・電気部・火工部、各種の実験部などが置かれ、軍器や素材製造の最大の拠点となった。当初の四海軍工廠以外に1923年(大正12)4月に呉海軍工廠広支廠(広島県)が広海軍工廠(1945〈昭和20〉年6月に呉の第十一海軍航空廠に統合)となったほか、さらに日中戦争・太平洋戦争時期に戦力増強のため豊川(愛知県)・光(山口県)・鈴鹿(三重県)・多賀城(宮城県)・相模(神奈川県)・川棚(長崎県)・沼津(静岡県)・高座(神奈川県)・津(三重県)に海軍工廠が設置され、機銃部や化学兵器部、潜水艦部などおのおの特色を持った部門を担った。 |
上位の階層 | |
参考資料 | 「御署名原本・明治十九年・勅令第二十四号・海軍条例」(アジ歴Ref: A03020002800)、「海軍鎮守府官制ヲ定ム」(アジ歴Ref: A15111145600)、「御署名原本・明治三十年・勅令第三百二十号・海軍造船廠条例」(アジ歴Ref: A03020306200)、「御署名原本・明治三十三年・勅令第二百二号・海軍兵器廠条例」(アジ歴Ref: A03020461400)、「御署名原本・明治三十六年・勅令第百七十一号・海軍工廠条例制定海軍造船廠条例、海軍兵器廠条例、海軍需品庫条例廃止」(アジ歴Ref: A03020572400)、「御署名原本・大正十二年・勅令第五十一号・海軍工廠令」(アジ歴Ref: A03021434500)「御署名原本・昭和十一年・勅令第一三一号・海軍工廠令改正」(アジ歴Ref: A03022031300)、「御署名原本・昭和二十年・勅令第三八七号・海軍工廠令及海軍航空廠中改正ノ件」(アジ歴Ref: A04017749500)。 海軍大臣官房編『海軍制度沿革』巻三(海軍大臣官房、1939年、263~375頁)、国史大辞典編集委員会編『国史大辞典第』第三巻(吉川弘文館、1983年、19~21頁、※執筆:佐藤昌一郎)。 |