トップページ > グロッサリー検索
地域 | 日本 |
---|---|
都市名 | 大阪府川口富島町 |
解説 | 1884(明治17)年5月1日に大阪の中小船主55名が合同で、広瀬宰平を頭取として、大阪府川口富島町に設立された。その背景には、1877年頃瀬戸内海・九州航路において群小船主が乱立し、競争が激化して共倒れしかねない危機的状況があった。大阪商船会社は設立当初、資本金120万円、所有船舶は小型汽船93隻(平均100トン)の小規模な経営であったが、1888年から8年間、政府より年間5万円の助成金を受け、大阪から山陽・山陰・四国・九州・和歌山への定期航路を担うとともに、1890年7月には大阪―釜山間航路を開設し、1896年4月には台湾航路にも参入した。1898年に中橋徳五郎が社長となってからは、長江航路・華北・華南への航路も開設した。日露戦争の際には、汽船の4分の3を徴用されたが、残された小型船・チャーター船を使用して沿岸・近海航路での運航を継続した。日露戦争後は遠洋航路に進出し、香港・シアトル・タコマへと至る北米定期航路を開設、1913(大正2)年にはインド(ボンベイ)航路、第一次大戦期には南米・オーストラリア・南洋群島への航路も開設した。第一次世界大戦後には、アフリカ・カルカッタ・ニューヨークへの航路も開設した。1933年には130隻、53万余トンの船舶を有し、近海14線・遠洋15線を経営経営、国内では日本郵船会社に対抗する大海運会社となった。 |
上位の階層 | |
参考資料 | 「大阪商船会社」(服部一馬執筆)丸山雍成・小風秀雅・中村尚史編『日本交通史辞典』吉川弘文館、2003年、135頁。 |