トップページ > グロッサリー検索
地域 | 日本 |
---|---|
都市名 | 東京/横浜/大阪/神戸/下関/博多/長崎 |
解説 | 回漕取扱所を母体とし、1872年(明治5年7月)に創立請願が出され、1872年9月12日(明治5年8月10日)に大蔵省駅逓寮で認可を受け設立された。正式名称は「日本国郵便蒸気船会社」。株式会社の形を取ったが、半官半民に近い経営形態であった。頭取に高崎長右衛門、一等副頭取に山路勘助、二等副頭取に岩橋万造が就任した。本社を東京、支店を横浜・大阪・神戸・下関・博多・長崎に置いた。政府所有船、旧藩有船10隻の払い下げを受け、東京―大阪間・東京―函館間・東京―勢州間・大阪―長崎間などの航路を経営し、1872年(明治5年8月)には貢米輸送を委託された。1874(明治7)年1月には政府補助を得て東京―琉球間定期航路を開設した。1873(明治6)年12月には海軍省管轄の横浜製鉄所の貸与を受けたが、船舶の修繕費は巨額に上り、三菱商会との競争もあって経営状況は悪化した。1874年の佐賀の乱および台湾出兵では船舶の軍事徴用を受け、一時的に黒字となったが、徴用解除後再度赤字となり、同年11月には貢米輸送からも外された。1875(明治8)年3月に閉社が決定され、同年6月に解散となり、資産は日本政府に売却された。 |
上位の階層 | |
参考資料 | 「日本国郵便蒸気船会社」(小風秀雅執筆)丸山雍成・小風秀雅・中村尚史編『日本交通史辞典』吉川弘文館、2003年、709頁。 |