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地域 | 日本 |
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都市名 | 横浜 |
解説 | 1866年6月25日(慶応2年5月13日)に徳川幕府と列強の間で調印された「改税約書」第11条により、徳川幕府が船舶安全のための燈台・浮標を設置することが義務付けられた。幕末期、燈台業務は老中・松平周防守が統轄し、外国奉行および神奈川奉行が事務を管掌した。明治政府発足後、燈台業務は外国事務官(のち外国官)の所管とされたが、実際の事務は明治政府により接収された旧神奈川奉行所を改組した横浜裁判所(のち神奈川府裁判所・神奈川県裁判所と改称)が担った。1868年(明治元年9月)、神奈川県裁判所内に燈明台掛が置かれ、燈台設置必要個所の選定と建設事務が開始された。1869年2月26日(明治2年1月16日)には燈明台掛の所管が会計官に移されたが、1869年5月17日(明治2年4月6日)には再度外国官に移管され、燈明台役所と改称された。燈明台役所は横浜元弁天に事務所が置かれ、この場所はこれ以降も日本における燈台設置業務の中心となる。1869年8月15日(明治2年7月8日)の外務省設置後ほどなくして、1869年10月22日(明治2年9月18日)に大蔵省へ移管された。 |
上位の階層 | |
参考資料 | 海上保安庁燈台部編『日本燈台史 100年の歩み』社団法人燈光会、1969年、103頁。吉川弘文館編集部編『近代史必携』吉川弘文館、2007年、168頁。 |
御雇外国人 | 灯台技師:リチャード・ヘンリー・ブラントン 電信技師:ジョージ・マイルス・ギルバート |