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解説 | 1902年3月27日に日本政府により公布された「外国領海水産組合法」(同年4月1日施行)に基づき、1908年10月に組織され、同年12月1日に農商務省と外務省の認可を得た。正式な名称は「露領沿海州水産組合」。「外国領海水産組合法」では、外国の領海で漁業に従事する日本国民は同法の要件を満たす組合を組織し、それに加入することが義務づけられていたことによる。日露戦争開戦により引き揚げていた日本人漁業者は、日露講和条約締結により日本がロシア領海域での漁業権を獲得したためロシア領に戻り漁業を開始したが、日本政府は両国で取り決めた漁業区域や漁法に関する法令を遵守させる必要が生じ、当該海域で営業しようとする漁業関係者を組織化し、条約・法令を遵守させることを企図していた。報效義会を結成して千島開拓に従事していた海軍軍人の郡司成忠が、沿海州水産組合の設立を主導したとされる。沿海州水産組合には、函館・新潟・富山など日本海側の漁業関係者が多数参加したという。組合の目的は、沿海州方面への出漁者・買魚者・製造業者などが団結して、漁利開発とロシア水産関係者との関係維持に置かれた。沿海州水産組合は1909年に「露領水産組合」と改称された。 |
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参考資料 | 片山房吉『大日本水産史』有明書房、1983年、1090頁。麓慎一「露領沿海州水産組合の成立について」(『環東アジア研究』第10号、2017年3月)。神長英輔『「北洋」の誕生 場と人と物語』成文社、2014年、132頁。 |
歴代長官 部局長等 |
組合長: |