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地域 | 日本 |
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都市名 | 東京 |
解説 | 東京電信学校の創設後、栗野慎一郎参事官兼外信局長と下村房次郎事務官は、フランスの郵便電信大学に範をとり同校の教則を発展させることにした。その結果、1890年3月18日勅令第23号「東京郵便電信学校官制」および19日逓信省告示第58号「東京郵便電信学校規則」として成立することになった。東京郵便電信学校となり、理論を教授する甲科と技術を教授する乙科の2科が置かれた。1892年12月14日逓信省告示第298号によって甲科を郵便科、乙科を電信科と改称されるなど順調な発展を遂げていたが、卒業生の評価などをめぐり廃止論が浮上することになる。翌93年は募集停止となり、校長が更迭されるなど教官の転出が相次ぎ、1894年3月21日の逓信省告示第74号で東京郵便電信学校は実務重視の教則に変更した。それでも人気が急落した状況が続いたものの、日清戦争後の人材払底が同校に転機をもたらし、1899年3月18日逓信省告示第93号によって組織を行政科・技術科・通信科に変更、教官定数を増員し校長専任制を導入した。それによって同校の評価は回復したが、1905年には日露戦争後の経費削減の流れで縮小されることになった。 |
上位の階層 | |
参考資料 | 三上敦史「逓信講習所・逓信官吏訓練所に関する歴史的研究ー文部省所管学校との関係に注目してー」『日本の教育史学』50、2007。御署名原本・明治二十三年・勅令第二十三号・東京郵便電信学校官制制定東京電信学校官制廃止(アジ歴Ref:A03020062400)。御署名原本・明治三十八年・勅令第百四号・東京郵便電信学校官制廃止(アジ歴Ref:A03020632200)。 |
歴代長官 部局長等 |
栗野慎一郎(東京郵便電信学校校長) |