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地域 | 南方軍政地域 |
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都市名 | ニューギニア |
解説 | 太平洋戦争中、海軍が西部ニューギニア(蘭領)と東部ニューギニア北岸の要所を無血占領した後、南西方面艦隊民政府のセラム民政部にマノクワリ支部が設けられ、西部ニューギニアの軍政が開始された。その後の軍政構想としては、西部ニューギニアと東部ニューギニアにそれぞれ軍政部を置き、両者を管轄するニューギニア民政府を設置する予定であったが、ポートモレスビー占領作戦の失敗によって、西部ニューギニアのみを管轄するニューギニア民政府が1942年10月に新設された。民政府には、官房(のち総務局)、開拓局、衛生局、調査局が置かれ、なかでも開拓局には10課設けられ、ニューギニアにおける海軍重点施策が開拓にあったことが理解できる。また、衛生局内には防疫課と医務課が置かれ、それぞれ課長として司政官が任命された。課員としては防疫課に司政官2名と技師2名が、医務課に司政官2名と技師1名が置かれた。衛生局嘱託であった台北帝国大学教授の森下薫は、ニューギニア民政府からの委嘱を受けて、マラリア罹患率と媒介蚊の分布についての調査をおこない報告書を作成している。東部ニューギニアについては、第8根拠地隊から第7根拠地隊へと指揮権が移りながら東部北岸地区の軍政を担当したが、連合軍のニューギニア進攻作戦にともない西部へ後退した。1944年になるとニューギニア民政府管轄地域も戦場化してきたため2月1日付で解散した。 |
上位の階層 | |
参考資料 | セラム民政部のマノクワリ支部設置については、C13072005200(1942年4月)を参照。衛生局嘱託であった森下薫の報告書については、C13120561800(1944年11月)を参照。太田弘毅「海軍南方占領地行政の機構系統の変遷」『日本歴史』344号、1977年、39-64頁。秦郁彦編『南方軍政の機構・幹部軍政官一覧』非売品、1998年、54-74頁。 |
歴代長官 部局長等 |
ニューギニア民政府総監浜田吉治郎 1942年10月~1944年2月 |