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地域 | 南方軍政地域 |
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都市名 | インドネシア(セラム) |
解説 | 太平洋戦争初頭、海軍主担任地域の占領後しばらくは駐屯部隊による軍政が実施され、1942年1月11日制定の「海軍民政部規定」によって3月10日、セレベス、ボルネオ、セラムの各民政部が設置された。セラム民政部本部はアンボンに置かれた。1942年4月に南西方面艦隊民政府(1943年4月1日に南西方面海軍民政府に改称)が設置されるとその下部機関となり、5月25日付の改正でクーパン、マノクワリ各支部とテルナテ、トアール各事務所が置かれた。文官(司政長官)である民政部長官の下に官房があり、政務部、経済部、衛生部が設けられた。1944年2月に南西方面海軍民政府の管轄縮小にともない、セラム民政部は小スンダ民政部と改称され(本部はシンガラジャ)、バリ、ロンボック、スンバワ島を担当したが、10月からはフロレス島からチモール島までを編入した。旧セラム民政部に属した西部ニューギニアやモルッカ群島地域における軍政については、その地域の戦場化によって作戦部隊である第28海軍建設部などの担当に移った。 |
上位の階層 | |
参考資料 | セラム民政部のマノクワリ支部設置については、C13072005200(1942年4月)を参照。太田弘毅「海軍南方占領地行政の機構系統の変遷」『日本歴史』344号、1977年、39-64頁。秦郁彦編『南方軍政の機構・幹部軍政官一覧』非売品、1998年、54-74頁。 |
歴代長官 部局長等 |
清水重夫 1942年5月26日~1944年1月15日<小スンダ民政部長官>越野菊雄 1944年2月1日~ |